Cosplay Parallel world

ポン!(オッ、何やら懐かしい音ですナ) 「トマスおじさん」ことトマス・H(ハイド)・モアは天上(天国)人なのですが、実は葬られた歴史の真実を暴露すべくパラレルワールド(並行世界)にて“SEEDs劇場”をプロデュ-スする事となり再び降臨いたしました・・・・!
あっそうそう、このパラレルワールドのことを少々ご説明しておきます。我々の暮すこの世界の他に並行して存在する(と言われている)のがパラレルワールドです。つまり私達とソックリな人々が存在する別世界があるという事ですナ。これは物理学でいう反物質である為に陽子や量子で構成され高速移動しているので決して見えないのです。我々の暮すこの世界は正物質と呼ばれ、同じ様に陽子や量子で構成され高速移動しているので、この正物質と反物質が遭遇すれば量子爆発を起し消滅してしまうのです。いやはや、チョッと話が小難しくなりましたが、興味のある方は色々お調べください。チョッと適当ですが、悪しからずです。
えっ、でもどうしてパラレルワールドなのかって? 実は「トマスおじさん」以前の相棒である「寺陀 某(ぼう)」では少々役不足に感じておりまして、こちらのパラレルワールドにて少しは手ごたえのある謂わば“裏テラダs”とも言うべき 「百眼(ひゃくまなこ)の秀と寺陀 某(なにがし)」をお得意の魔法で創造したのですヨ。そのついでに自分自身の新キャラクターも創造したのですナ。何とも「トマスおじさん」その執念は恐るべしですネ~。
それと“ユウレイ”には普通の世界も並行世界もどちらでも関係ないのです(物理学的には“ユウレイ”は物質構成が不明ですから)。しかもトマスおじさんは聖人なので、特別に「閻魔大王様」承認の「天国・地獄スルーパス」を戴いていて、何とこれがパラレルワールドにも適用するのですヨ(ややこしいですナ)。
それでは、この世界で数々の演目を“多彩なゲスト陣”と共に、様々なコスチュームを纏い“変幻自在・軽妙洒脱”に演ずるメインキャスト3名と共にその他のチョッとお茶目なオリジナルキャスト達をご紹介いたします。

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トマスおじさん [トマス・H(ハイド)・モア]

イングランドの思想家(法律家)、カトリック教会と※聖公会で聖人。『ユートピア』の著述で知られているThomas More(1478年~1535年)のパラレルキャラクターの「裏トマス」でメインキャストの筆頭です。この「トマスおじさん」、天国からパラレルワールドに降臨し、はたまた意外とひょうきんな性格ぶりで、妙な日本語を話し(本人はすこぶる堪能と思っていて、その上、訳の分からない方言も混じっているのですが・・・)、時々うけない“おやじギャグ”を繰り出したり(本人はうけているつもりの古いギャグなのですが・・・)と、やりたい放題です。そんなトマスおじさんは、最近年甲斐もなく(とはいっても“ユウレイ”ですが・・・)コスプレにハマッテしまい、その勢いでいたずら心に火がつきまして、なんとも歴史から消された様々な人物にスポットを当てる為に変幻自在!のコスプレ(パラレル)ワールドを展開しています。では、その八面六臂の活躍を見せるコスプレぶりを披露してもらいますかネ・・・・。

※聖公会(せいこうかい)は、イングランド国教会に属するキリスト教の教派。「聖公会」とは聖なる公同の教会という意味であり、1887年から日本で、その後中国でも用いられるようになった名称、「聖公会」は自らを、西方教会におけるカトリック教会とプロテスタントの中間として位置づけ、そのことから「中道(Via Media)」の教会であると自認している。

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吐魔素(トマス)黄門様と寺さん秀さん

ご存知、水戸黄門{江戸時代の水戸藩主・徳川光圀(寛永五年・1628~元禄十三年・1701)の別名}のコスプレ・トマスのパラレルキャラです。ちなみに『水戸黄門漫遊記』は世直しのため日本各地を漫遊したという創作物語の題名で、実際の光圀はその様な世直し漫遊はしていなかった様です。しかし、ここでの吐魔素(トマス)黄門様は“助さん格さん”ならぬ“寺さん秀さん”こと「寺陀 某(なにがし)」と「百眼の秀」を伴い遠慮容赦なく陰謀渦巻く動乱の近現代史を縦横無尽に切りまくります。
ちなみに「寺陀 某(なにがし)」と「百眼(ひゃくまなこ)の秀」は「トマスおじさん」のしょうもないコスプレに仕方なくつき合わされていて、不満タラタラのようですヨ・・・・・?

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浦島吐魔素(トマス)

これもご存知、浦島太郎(日本各地にある龍宮伝説、日本の伽話の一つで、主人公の名前)のコスプレ・トマスのパラレルキャラです。初めて浦島太郎が文献に登場するのは、前8世紀に成立した『日本書紀』「雄略紀」の雄略天皇22年(478年)秋7月の条にその記述があります。
あっ、そうそう、ここでの浦島吐魔素(トマス)の玉手箱は開けても時間経過が起きずに老けないんですナ。元々“おじさん”ということもあるのでしょうかネ?その代わりパラレルワールドの乙姫様はこの玉手箱に裏情報満載という粋な計らいをしてくれました・・・。さて、その内容は如何に?

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ディアブロ・トマス

ディアブロ(イタリア語)とは悪魔のことですが、この悪魔は宗教文化に根ざした悪しき超自然的存在や、悪を象徴する超越的存在をあらわします。仏教では仏道を邪魔する悪神を意味し、煩悩のことであるとも捉えられており、キリスト教ではサタンを指し、神を誹謗中傷し人間を誘惑する存在で、神に敵対するものを指します。本来のトマス・モアは「カトリック教会と聖公会で聖人」でありますのでディアブロ(悪魔)になりえませんが、パラレルワールドの神々はこの様な事もお許しになる超寛大?なお心をお持ちです。
さて、トマスおじさんが敢えてディアブロ・トマスになり禁断のパンドラの箱(ギリシア神話に登場するこの世のあらゆる災厄を収めた箱のこと)を開ける意味とは?人によっては災いを招く物もあるようで・・。

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落語家:吐魔素亭 模唖(トマス亭・モア)と
吟遊詩人:ミンストレル・トマス

落語家については説明はいらないでしょうが、吟遊詩人(ミンストレル)についてはチョッと説明をいたします。この吟遊詩人、簡単に言えば中世欧州文化に於いて詩曲を作り、各地を訪れて歌った人々を指します。英語では他に「ジョングルール」とも呼ばれています。吟遊詩人は低層階級の放浪の音楽師として8世紀頃からフランスの記録に現れますが、彼らは特に中世の歴史的な事件、あるいは他の場所での史実についての物語を広め伝えるために歌を披露していました。今でいうシンガーソングライターですネ。
そういえば「ジョン・レノン」はアメリカのR&Rシンガー・ギタリストの「チャック・ベリー」を称して“現代の吟遊詩人”であると言ってましたナ。
コスプレ・トマスのパラレルキャラでは「落語家:吐魔素亭 模唖(トマス亭・モア)」は日本の裏歴史を・・・・。
「吟遊詩人:ミンストレル・トマス」は欧米の裏歴史をそれぞれ演じています。はてさて、「吐魔素亭 模唖(トマス亭・モア)」からはどんなオチ噺が聞けることやら、はたまた「ミンストレル・トマス」からは、“妙なるメロディー”が聞こえるような裏歴史に関する名フレーズの数々が堪能できると思いますヨ・・・・。乞うご期待!

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瓦版売り:吐魔素(トマス)屋

瓦版(読売とも呼ばれた)とは江戸以前に発行していた今で言う「号外」のようなもので、前日や数日前に起こった「心中」などのスキャンダラスな事件をいち早く伝える役目がありました。
さて、コスプレ・トマスのパラレルキャラである瓦版売りの「吐魔素(トマス)屋」がばら撒く号外には、どんなスキャンダルが書いてあることやら・・・さあさあ、読んでらっしゃい、見てらっしゃい!買って損はないヨ~ってな感じですかネ。
ちなみに、この「瓦版」という言い方は安政の大地震[安政2年(1855)10月2日、関東地方南部でM6.9の地震]以後から使われたと思われます。つまり地震で倒壊した家の屋根瓦が相当あったので勿体ないのでこの瓦に文字を彫りこんで印刷したことからこう呼ばれたと云われています。

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聞屋トマス

「聞屋(ぶんや)」とは俗語で新聞屋の略称で新聞記者のことを指します。昭和50年代頃までは新聞記者のことを警察関係者はこんな風に呼んでいました。いわゆる符牒(仲間うちだけに通用する言葉。隠語。合い言葉)ですネ。今では死語です。コスプレ・トマスのパラレルキャラでは、半藤一利氏の“歴史探偵”の向こうを張る、大正・昭和の匂いぷんぷんの「聞屋(ぶんや)」衣装を纏ったダークサイド・タブロイドの雄! 人呼んで“闇の事件記者トマス” を演じ、また彼が追いかけるスクープには興味津々です・・・・!? 

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寺陀 某(なにがし)

寺陀 某(なにがし)は、このパラレルワールドで「トマスおじさん」と共にメインキャラの一人で、お人好しで天然ボケ、判官贔屓(ほうがんびいき)で調子っぱずれのおっちょこちょいとくれば、さしずめ落語の与太郎的キャラの様ですナ。それに東京生まれのくせに、たまに妙な関西弁や方言も出たりする変なおやじです。しかしその半面、結構鋭いことも言ったりするので結構侮れませんゾ!
ユニークなキャラの多いこの世界で、見かけによらず憎めない人柄で「トマスおじさん」もお気に入りのようです。一説には「てらだ ひでを」ではないか?と囁かれていますが、果たしてその実体は如何に・・・・・! また過去には「寺陀 某(ぼう)」とも言われていました。

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百眼の秀(ひゃくまなこのひで)

百眼(ひゃくまなこ)とは日本の伝統芸能で別名「目鬘(めかづら)」とも云い。厚紙に目の穴をあけ、髪や眉・まつげなどを描き、顔の上半分だけを覆う簡単な仮面のことです。数々の百眼で変相しながら小噺(こばなし)などをする芸で現在ではほとんど目にする機会はないですネ。
このパラレルキャラの「百眼(ひゃくまなこ)の秀」もメインキャラの一人ですが、「寺陀 某(なにがし)」でも役不足と感じた「トマスおじさん」が創造した「寺陀 某(なにがし)」の分身キャラです。見てのとおり、チャライ格好で世の中を斜に見る※1傾奇者(かぶきもの)です。元々が不良のため“チョイ悪おやじ&ヤンチャおやじ”と言われていますが(さしずめヤンジイですネ)、意外にドライ&クールで、江戸っ子ではないが東京っ子?で、歯切れの良い話し方と歯に衣を着せぬ物言いは、コスプレ・トマスのパラレルキャラと語り合っても一歩も引けをとらないツワモノぶりです。それもその筈で「百眼(ひゃくまなこ)の秀」は四方に隙がなく地獄耳の※2百眼(ひゃくがん)の巨人アルゴスにも掛けているので納得ですナ。そうそう彼の人生(?)のモットーは“綺麗事を忘れず、綺麗事に囚われず&毒も薬も俺のもの”だそうです。御見逸れいたしやした!
余談ですが、彼は70年代の安保闘争の新宿騒乱事件の時には、サングラスに覆面姿の見たこともない先導役の※3オルグに火炎瓶を渡され、尻を押されてそれを投げたりして?参加していたそうです(なんだか野次馬根性を丸出しですネ)。 ・・・・・ということは、すでにこの時代から「トマスおじさん」の創造キャラである「百眼(ひゃくまなこ)の秀」が出来つつあったということですかネ! いやはや、またまた恐るべしですナ~

※1傾奇者(かぶきもの)とは慶長から寛永年間(1596年~1643年)にかけて江戸や京都などで流行した風潮。異風を好み、派手な身なりをして、常識を逸脱した行動に走る者たちのことで、茶道や和歌などを好む者を数寄者と呼ぶが、数寄者よりさらに数寄に傾いた者と言う意味。
※2百眼(ひゃくがん)の巨人アルゴス(Argos, Argus)は、ギリシア神話に登場する100の目を持つ巨人。アーガスともいう。全身に100の目を持ち、しかもそれらの目は交代で眠る為、彼自身は常に目覚めている。つまり、アルゴスには時間的にも空間的にも死角が無い。
※3オルグとは、英語のorganize(一般的に組織)の略称“org”に由来する。オルグをまとめる者をOrganizer{オルガナイザー(組織者)}という。団体が組織拡大のために、人を勧誘して構成員にすることを指し、過去において、この言葉は既成左翼の世界で主に使われていたが、現在ではさまざまな組織で一般に用いられている。選挙前の後援会員勧誘活動などもオルグ活動と呼び、定着している。

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閻魔大王

閻魔(えんま)は仏教、ヒンドゥー教等での地獄、冥界の主です。冥界の王として死者の生前の罪を裁く神で日本の仏教では地蔵菩薩の化身とみなされ同一視されています。つまり表裏一体で愛憎の裏返し的存在とでもいえそうで、ある意味パラレルワールドにうってつけのキャラですナ・・・・?
そうそう、この「SEEDs劇場」の舞台ではシレッとした顔で嫌味を言う、「閻魔大王」とも思えぬチョッと小悪(こわる)な役もこなしていますナ。
この閻魔大王、嘘をついた者には舌を引き抜くという俗説があり、昔は子供を叱るときに使われていました。そういえば、和釘を引き抜くのに使われた釘抜きを「えんま」と言ってました。また、意外なことにコンニャクが大好物であるといいます。東京・文京区の源覚寺にこんにゃくを供えれば眼病を治すという「こんにゃくえんま」像があるほかに、各地の閻魔堂で“こんにゃく炊き”の行事が行われているようですヨ。

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スタさん(スターリン)

ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・スターリン(1878年12月18日~ 1953年3月5日)は、旧ソビエト連邦の政治家、軍人。同国の第2代最高指導者。このスターリンという姓は「鋼鉄の人」を意味するペンネームで、本姓はジュガシヴィリです。イオセブ・ベサリオニス・ゼ・ジュガシヴィリ(旧グルジア語名)としてロシア帝国領ゴリ市(現ジョージア)に生まれ、ロシア正教の神学校で教育を受けますが、棄教、無神論に転向してマルクス主義に基づいた革命運動に参加し、ウラジーミル・レーニンによるロシア社会民主労働党ボリシェビキ派(ロシア共産党)による十月革命に加わり、ソビエト連邦政府およびソビエト連邦共産党の成立にかなり貢献してますナ。1924年のレーニン死後に起きたレフ・トロツキーとの後継者争いを制すると、自身が務めていたソビエト連邦共産党中央委員会書記長に権限を集中させることで地位を確立しました。党内ではトロツキー派の世界革命論(永久革命)を否定して、一国社会主義論による国内体制の維持を優先する路線を示したとされています。この理論対立はトロツキー派粛清の大義名分としても用いられ、以降、人民委員会議議長および同職を改組した閣僚会議議長を1941年から1953年に死没するまで務めたほかに前述のソビエト連邦共産党中央委員会書記長などの要職を兼任、国家指導者としての立場を維持しました。彼は、「毛沢東」と並ぶ史上最悪・最凶の共産主義政権の独裁者と言われていますが、実は「毛沢東」のことを頭が悪く、共産主義理論を理解していなかっただけでなく、匪賊・蛮族の出身ということでも、忌み嫌っていたようです。
尚、「トマスおじさん」と「寺陀 某(なにがし)」や「百眼(ひゃくまなこ)の秀」はそんなスターリンのことをナゼか「スタさん」の愛称で呼んでいます。おそらく歴史の真実を「スタさん」から聞き出そうという魂胆があるので“ゴマを擂っている”のではないかと思われますネ。
そんな「スタさん」は「閻魔大王様」が大の苦手で、かなりビビッているようですヨ。それもその筈、彼のやってきた事を振り返れば当然ですナ・・・・。
そういえば、本物のスターリンは日本人の能力を高く評価し、また、認めてもいたようですナ。“ありがた迷惑”とはこの事ですかネ。

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吐魔素 卜伝(トマスぼくでん)

ご存知、“無手勝流”の逸話を持つ「※塚原卜伝」のパラレルキャラ「吐魔素 卜伝(トマスぼくでん)」です。 「塚原卜伝」という剣豪は“幾度も真剣勝負に臨みつつ一度も刀傷を受けなかった”などの伝説により剣聖と謳われ、結構知られていましたナ。最近でも某国営放送局のドラマにもなってました。
勝負事にまつわる有名な訓話の一つとして、よく引き合いに出されるのが上記の“無手勝流”ですが、この話はというと、「とある船中で血気の多い若い剣士と乗り合いになり、その剣士が決闘を挑んでくると、卜伝はのらりくらりとかわそうとしますが、逸る剣士は卜伝が臆病風に吹かれていると思い、卜伝を罵ります。周囲に迷惑がかかることを気にした卜伝は、船を降りて決闘を受けることを告げ、その剣士と二人で小舟に乗り、付近の小島に船を寄せ、水深が浅くなるや剣士は船を飛び降り島へ急ぎます。しかし卜伝は、そのままなにくわぬ顔で島から離れてしまい、取り残されたことに気付いた剣士が大声で卜伝を罵倒するが、卜伝は“戦わずして勝つ、これが無手勝流だ”と言って高笑いしながら去っていった。」というお話です。
いやはや、“勝負事にはどのような時でも冷静さが必要。”を絵に描いたような逸話だと思いませんかネ。
でッ、パラレルキャラの「吐魔素 卜伝」はというと、“剣をペンに変えて(どこぞで聞いたことのあるフレーズですナ)”あえて歴史の暗部に潜み、蠢く“魑魅魍魎・百鬼夜行”などが跳梁跋扈する人外魔境に踏み入り、冷徹に分析、切り込み、容赦無く成敗していきます。そういえば「トマスおじさん」のこのコスプレ、いつになくキリッとした顔つきでキマッテますネ。
あッ、そうそう、「塚原卜伝」が剣聖と云われていて、本来のトマス・モアは聖人の称号がある・・、んッ?ということは、さしずめパラレルキャラの「吐魔素 卜伝」は“剣聖人”ですかネ・・・・。

※塚原 卜伝(つかはら ぼくでん)
日本の戦国時代の剣士、兵法家。父祖伝来の鹿島古流(鹿島中古流)に加え、天真正伝香取神道流を修めて、鹿島新当流を開いた。卜伝は元亀2年(1571年)2月11日に83歳で鹿島沼尾郷田野(現鹿嶋市沼尾)の松岡則方の家で死去したといわれている。墓は須賀村(現鹿嶋市須賀)の梅香寺にあったとされるが同寺は焼失し、墓のみが現存している。
“無手勝流”以外のよく知られた逸話に“若い頃の宮本武蔵が卜伝の食事中に勝負を挑んで斬り込むが、彼はとっさに囲炉裏(いろり)の鍋の蓋を盾にして武蔵の刀を受け止めた。”とする話があるが、この二剣豪は同時代人ではなく後世の作り話である。

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織田 信長(おだ のぶなが)

戦国時代~安土桃山時代の武将・戦国大名。※1.三英傑の一人。
尾張国(現愛知県)の古渡城主・織田信秀の嫡男で尾張守護代の織田氏の中でも庶流・弾正忠家の家系であった。父の代から主家の清洲織田氏(織田大和守家)や尾張守護の斯波氏をも凌ぐ力をつけ、家督争いの混乱を収めて尾張を統一し、桶狭間の戦いで今川義元を討ち取ると、婚姻による同盟策などを駆使しながら領土を拡大し、足利義昭を奉じて上洛すると、権威を利用して天下に号令。後には義昭を追放して室町幕府を滅ぼし、畿内を中心に強力な中央集権的政権(織田政権)を確立し、天下人となった。これにより他の有力な大名を抑え、戦国乱世の終焉を導いた。ちなみに信長は戦国大名だけではなく、一向衆による一向一揆にも相当手こずっている。しかし天正10年6月2日(1582年6月21日)、重臣・明智光秀に謀反を起こされ、本能寺で自害した。すでに家督を譲っていた嫡男・織田信忠も同日に二条城で自害し、信長の政権は、豊臣秀吉による豊臣政権、徳川家康が開いた江戸幕府へと引き継がれていく・・・・・。
硬軟枚挙にいとまが無いほどのエピソードがある信長候ですが、好奇心が強く、新し物好きあったと云われていますネ。この時代ではかなり珍しかった南蛮品を好み、とある式典にビロードのマント、西洋帽子を着用し参加したり、まだ鉄砲が一般的でなかった頃から火縄銃を重視し、戦国最強の鉄砲部隊を編成、長篠の戦いでは約3,000丁もの鉄砲を用いて武田勝頼の軍に甚大な被害を与えたとされていますナ。但し、興味のない物は受け取らず、※2.ルイス・フロイスから南蛮の目覚まし時計を献上された際には、扱いや修理が難しかろうという理由で返したといいます。イエズス会の献上した地球儀・時計・地図などを良く理解したと云われているのですが、当時はこの世界が丸い物体であることを知る日本人はおらず、地球儀献上の際も家臣の誰もがその説明を理解できなかったのですが、信長は「理にかなっている」と理解したと云われています。
余談ですが、過去の歴史に登場してきた際立って異彩を放つ良・悪含めた天才と云われる有名人物がけっこうおりますネ。この信長候もそうだと思われますが、他には「アドルフ・ヒトラー」、「ヨシフ・スターリン(スタさん)」、「毛沢東」「トーマス・エジソン」、「アルベルト・アインシュタイン」等々・・・・。突然変異的なこの人物たちの発生の原因は、何らかの理由で”外部の何者かによる意図的“な遺伝子操作が(現在でも)行われているという(時代的なことを考慮すると、かなり文明の発達した”何物か“ですネ?)、謂わば都市伝説があるようですヨ。 オッと、これは“信じる、信じないはあなたのご判断にお任せします。”ですかナ・・・・・・?

※1.三英傑(さんえいけつ)、もしくは郷土三英傑は、現在の愛知県(当時は尾張国と三河国)出身で名古屋にゆかりがあり、戦国時代において天下を統一へ導いた3人の戦国大名について、主に中部地方や愛知県で顕彰する呼称。口語では戦国の三傑が用いられる。名古屋まつりでは毎年、この3人にちなんで郷土英傑行列が行われている。

※2.ルイス・フロイス(Luís Fróis)、1532年 - 1597年7月8日(慶長2年5月24日))は、ポルトガルのカトリック司祭、宣教師。イエズス会士として戦国時代の日本で宣教し、織田信長や豊臣秀吉らと会見。戦国時代研究の貴重な資料となる『日本史』を記したことで有名。

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マルティン・ルター

マルティン・ルター(Martin Luther、1483年11月10日 - 1546年2月18日)は、95ヶ条の論題を著した宗教改革の主人公である。しかして、その正体は・・・・?
聖アウグスチノ修道会に属するドイツ人神学教授として、ルターは「人の姿となられた神の言葉としてのイエス・キリストにのみ従う」というルター主義によって宗教改革をもたらした。 ルター主義は、ラテン語で「ソラ・フィデ」といい、「信仰のみ主義」と言われる。聖書は重視するが、※1.カルヴァン主義に比べてより、信仰を重視するものである。ただし、ルターはその生涯として後に述べる※2.ドイツ農民戦争に際し、行為義認ではないが世俗の秩序を尊重する立場から農民暴動を批判している。
そんなルターは宗教改革の中心人物となったことでプロテスタント教会の源流をつくった。聖書をキリスト教の唯一の源泉にしようというルターの呼びかけはプロテスタント諸教会のみならず、対抗改革を呼び起こしたという意味でカトリック教会にも大きな影響を与えた。宗教上の足跡のみならず、ヨーロッパ文化、思想にも大きな足跡を残した。たとえばルターの手によるドイツ語聖書が、近代ドイツ語の成立において重要な役割を果たしたことや、自ら賛美歌をつくったことなどが挙げられる。カタリナ・フォン・ボラという元修道女と結婚したことでプロテスタント教会における教職者、牧師の結婚という伝統をつくったことでも知られる。キリスト教会の分裂(シスマ)はルターの本来の意図ではなかったが、彼の影響下で福音主義教会(ルター派教会)とアウクスブルク信仰告白が形成された。

※1.カルヴァン主義(カルヴァンしゅぎ、Calvinism)とは、すべての上にある神の主権を強調する神学体系、およびクリスチャン生活の実践である。宗教改革の思想家ジャン・カルヴァンにちなんでカルヴァン主義と名づけられている。このプロテスタントのキリスト教は、改革派の伝統、改革派信仰、改革派神学と呼ばれる。

※2.ドイツ農民戦争、(ドイツのうみんせんそう、独: Deutscher Bauernkrieg, 英: German Peasants' War)は、1524年、西南ドイツのシュヴァーベン地方の修道院の農民反乱から始まった。
彼らは賦役・貢納の軽減、農奴制の廃止など「12ヶ条の要求」を掲げて各地の農民に呼びかけたため、蜂起はシュヴァーベンから東南のチロルへ、東北のテューリンゲン・ザクセンへと広がっていった。この農民反乱に直面したシュヴァーベン同盟(1488年結成)の諸侯たちは、農民軍の鎮圧にあたった。
諸侯軍は4月、ライプハイムで農民軍を襲い、1000人の農民を虐殺してドナウ川に投げ捨て、その後も各地で農民軍を各個撃破していった。

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吉田 松陰(よしだ しょういん)

文政13年8月4日(1830.9.20)~安政6年10月27日(1859.11.21)日本の武士(長州藩士)、思想家、教育者。山鹿流兵学師範。
一般的に明治維新の精神的指導者・理論者・倒幕論者として知られる。私塾「松下村塾」で、後の明治維新で重要な働きをする多くの若者に思想的影響を与えた。文政13年(1830年)8月4日、長州萩城下松本村(現:山口県萩市)で長州藩士・杉百合之助の次男として生まれる。天保5年(1834年)、叔父で山鹿流兵学師範である吉田大助の養子となり、兵学も修める。
通称寅次郎、松陰は号。嘉永3(1850)年九州を遊学。翌年江戸に出て安積艮斎、山鹿素水、佐久間象山に経学、兵学を学ぶ。12月、訳あって士籍を削られ、杉家育となる。同6年江戸に赴き、折から来航中のペリーの黒船を視察。象山の勧めもあり海外渡航の志を立てる。翌安政1(1854)年3月下田に停泊中のペリーの艦隊に同行を求め拒絶されて自訴、萩の野山獄に投獄される。このときより「二十一回猛士」の別号を用いる。生涯21回の猛心を発しようとの覚悟である。時に25歳。また同獄の人に教授を行う。唯一の女性の友人ともいうべき高須久との交流が始まるのもこのときである。12月出獄し杉家に幽居。安政3年宇都宮黙霖からの書簡に刺激を受け、一君万民論を彫琢。天皇の前の平等を語り、「普天率土の民、……死を尽して以て天子に仕へ、貴賤尊卑を以て之れが隔限を為さず、是れ神州の道なり」との断案を下す。翌年11月、叔父玉木文之進の私塾の名を受けて松下村塾を開く。高杉晋作、久坂玄瑞、吉田稔麿、山県有朋、伊藤博文らはその門下生である。同門下生のひとり正木退蔵の回顧によれば、身辺を構わず常に粗服,水を使った手は袖で拭き、髪を結い直すのは2カ月に1度くらい、言葉は激しいが挙措は穏和であったという。安政5年7月日米修好通商条約調印を違勅とみて激昂、藩主毛利敬親に幕府への諫争を建言、また討幕論を唱え、老中間部詮勝暗殺を画策。12月藩命により下獄。翌6年6月幕命により江戸に送られる。10月25日死を予知して遺書を書き始め、翌日の暮れにおよぶ。冒頭に「身はたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも留め置かまし大和魂」の句を置き、全編を『留魂録』と命名。その翌日、斬に処せらる。年30歳。
何とも凄まじい人生ですナ~。齢30歳で冥界入りとはまさに“生き急いだ”とはこのことですネ。
ところで、トマスおじさんはローマ教皇ピウス12世さんといい、この吉田松陰さんといい(トマスおじさんもそうですが)、悲運の人生というか己の信念を貫いた人生を全うした御人(オッと、ユウレイか?)がお好きなんですナ、“類は友を呼ぶ”とはこのことデスかネ・・・・・・・。

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乙姫(おとひめ)

竜宮城の姫姉妹のうちで、妹の姫のことをいう{ちなみに姉の名前は“兄姫(えひめ)”というらしい}。「竜宮の主である竜神の妻」もしくは「竜宮の主の娘」とされます。100%架空のキャラですが、その元型は日本の神話に由来するとか、人魚伝説の日本版変形であるとか色々謂われていますナ・・・・・。 何はともあれ、この乙姫様は自身、もしくは仲間が親切にされると、竜宮城に招待したり、お礼に宝物をくれる気前の良い女性です。 浦島太郎で有名ですが、昔話にはちょくちょく出てきますネ。乙姫さまが登場する主な昔話は以下ですが、最近ではauのTV.CMにもご出演されているようですヨ。
・乙姫様のくれたネコ
・浦島太郎

それにしても、(イラストとはいえ)お美しいですネ。ちなみに、当シーズ劇場のキャストに加わりました我が乙姫様ですが、何ともムサイ殿方キャストに囲まれまして、めでたくも紅一点のキャラであります。“肥溜めに鶴”といいますか(オッと失礼!)、思いのほか和みますナ~。
あッそうそう、トマスおじさんは、年甲斐もなく密かに乙姫様に恋心を抱いておりましてネ。されど彼女は全然そのことに気付いているのかいないのか?まったくその気がないようですヨ。所謂、片思いッてやつですかネ。さしずめ“老いらくの恋”ならぬ“ユウレイの恋”ですかナ・・・・・。

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ローマ教皇ピウス12世

(Pius PP. XII、1876年3月2日 - 1958年10月9日)はローマ教皇(在位:1939年3月2日 - 1958年10月9日)、第260代ローマ教皇。本名はエウジェニオ・マリア・ジュゼッペ・ジョヴァンニ・パチェッリ(Eugenio Maria Giuseppe Giovanni Pacelli)。
第二次世界大戦前後という未曽有の困難な時代に教皇庁の外交担当や教皇を務め、その間の対応には批判的な評価もある。ピオ12世とも表記される。
カトリック教会の頂点。全カトリック教徒の精神的指導者。世界大戦という惨劇の時期にあたり、教皇としてバチカンの不偏中立を宣言。平和実現のため、仲介者となろうと様々な外交努力を行った。しかし、既に宗教が国に対する影響力を持っていた時代は終わっており、彼の努力も空しく、その平和工作は無視され続けた。 ナチスドイツが行った特定人種虐殺に対し、宗教上の理由で非難する事が出来ず、彼らを強く非難せず、少数の保護しか行わなかった事で戦後強い批判にさらされた。
と、まぁ~悲運の教皇様ではありますネ。※1トマスおじさんも生前はいろいろ苦労して、挙句の果ては非業の最後をとげていますからナ。
そんなことでトマスおじさんと同じカトリックの同輩としてご苦労されたピウス12世さんですが、何か共感を得たということでキャスト入りしたと言う訳ですかネ? 何はともあれ、(寺陀 某や百眼の秀とは別な意味で)天国でのトマスおじさんの良き話し相手・相談役としての存在意義は大きいですヨ。
ちなみにトマスおじさん、早速乙姫様への恋心をピウス12世に告白して盛り上がっているようです。

※1.トマス・モアはヘンリー8世が離婚問題からローマ教皇クレメンス7世と反目すると、大法官を辞任。ヘンリー8世の側近トマス・クロムウェルが主導した1534年の国王至上法(国王をイングランド国教会の長とする)にカトリック信徒の立場から反対したことにより査問委員会にかけられ、反逆罪とされて同年ロンドン塔に幽閉、1535年7月6日に斬首刑に処された。