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今般、初見参の吐魔素(トマス)黄門様と寺さん、秀さんの御一行でございます。おやッ! 何やら歌なぞ口ずさみまして上機嫌でのご登場です。
♪合羽からげて 三度笠 どこをねぐらの 渡り鳥 ぐちじゃなけれど この俺にゃ 帰る瀬もない 伊豆の下田の 灯が恋し・・・・♪(“雪の渡り鳥”、三波春夫/1957)
ありゃ!ちょと待っておくんなさいヨ。この歌、渡世人がテーマでしょうが、いかにコスプレでパロディーとはいえ、“吐魔素黄門様御一行”には相応しくないとは思うんですが、つまり少しばかり脱線してますが、まッ、フイーリングでOKですかネ。これじゃ~先がおもいやられますが・・・、それにしても寺さん、秀さんはこんな格好をさせられてえらく憤慨してましたが、やって見ると案外満更でもないようですヨ。むしろ気に入っているのとちがいますかネ。あッ、そうか!それでこの歌が思わず出てしまったんですネ・・・・(歌っていたのはどちらか知りませんが意外と単純ですナ)。
では、御一行様、いろいろと心おきなく御成敗くださいませ。
吐魔素(トマス)黄門様:
オウ、寺さん、秀さん、宜しくお頼み申しますぞよ。なにせ、三人が一堂に会して喋くりまくるのは初めてだし、この舞台だけじゃからのぅ。
寺さん
こちらこそ宜しくお願い申しますだ。
秀さん
トマスのおっさん、宜しくな。
吐魔素黄門様:
よっしゃ~、ではいくかのう。ところで、どのように舞台を進めていこうかな。
寺さん
そりゃ~、ご隠居さま、我ら三人のこの衣装から考えるにヤッパシ江戸時代のお話や事件に限定してからおっぱじめるのがようござんすよ。
秀さん
そんな風に決めつけて時代を江戸時代だけに固定化しちまったら面白くねぇよ。そもそもこれはあくまで舞台衣装なんだからよ~。話の内容や扱う事件は時代を超えて何だっていいじゃね~かよ。その方が範囲も広がるし、飽きることもないからな。
吐魔素黄門様:
マアマア、お二人さん、最初から揉めるのはよしなさい、まったく先が思いやられるのぅ。ほな文句が出ないようにワシが決めるけん、それでどうじゃな?
寺さん 秀さん
へっへ~、ソレで異存ありません(二人揃って)。
吐魔素黄門様:
ほんじゃまぁ、今回は先ずは江戸時代のお話からオッパジメルとしようかな。 じゃが、明治・大正・昭和の事件や、さらにじゃな日本だけではなく外国の事件も範疇に含めることにいたそうかのぅ、そして時代の順列ではなくランダムにいくとするかいな、その方が変化があるし刺激的でもあるしのぅ、これでどうじゃお二人さんよ。
寺さん
まっ、最初に江戸時代からならアッシとしては異存ありませんぜ、そもそも日本の歴史は幕末からオカシイからねぇ、ご隠居さま。
秀さん
トマスのおっさんのお好きな様にやってくれて結構でござんすよ。がってん“承知の助”でござる。
吐魔素黄門様:
うむ、では始めるとするか、では今回は幕末の事件とお話しでいくぞなもし。日本史の真相に迫るためには欠かせないフリーメイスンについて語ろうかいな。
寺さん
ほ~、先ずは例の都市伝説からですかい?
秀さん
おいおい、寺さんよ、フリーメイスンの話になるとすぐ都市伝説などと決めつけるのは日本人だけらしいぞ。しょせんオメェーもそのレベルかよ。
寺さん
だって日本でその話をすると相手に嘲笑されるんですよ。
吐魔素黄門様:
ワシの国イギリスやヨーロッパではそのようなことはないぞなもし。
秀さん
アメリカだってないでがすよ。それになんつってもアメリカの場合はそもそもフリーメイスンがアメリカをつくったそうですから。
寺さん
そういえば、あのジミーもそう言ってましたよ。
吐魔素黄門様:
なんじゃ、お前さん、まだジミーとの付き合いが続いておるのかいな。
寺さん
へ~っ、なにせ、なんだかんだいって50年超えた付き合いですからね~。相変わらず歴史の研究に没頭してまんがな。それに彼は交友範囲が広いし、ドイツ人やフランス人は勿論の事、イギリス人とか他の国の人々とも歴史の研究では情報交換をしてますからね。それにアメリカの複数の有力なシンクタンクとも太いパイプをもつているし、なんといってもマルチリンガルですからね、アッシは本当に彼を尊敬してまんがな。子供の頃から日本にいたので日本語は相変わらずペラペラのペラですもんね、本当に助かってまんがな。
吐魔素黄門様:
ホンニ持つべきものは友達じゃのぅ。ところで秀さんよ、お前さんにはこういうレベルのお友達はおらんのかいな?
秀さん
ジミーほどのレベルではないけど俺だっているもんね、エ~ット香港在住のジャーナリストや、最近会社を辞めましたが世界中を飛び回っていた大手商社マンとかね。この2人はとにかく中国の情報についてはすごいっすよ。中国にはそれこそ何十回も滞在経験があるしね。それだけではなく中国本土の人間にいくつものパイプを持っているんですわ。
吐魔素黄門様:
それは心強いわな、それになんといってもワシはイギリスとヨーロッパには強いからのぅ、特にイギリスじゃけどな、なんといってもワシの母国じゃけんイギリスについてはワシにおまかせじゃな(自信満々で)。
秀さん
なーるほど、イギリスといえばフランスと並んでフリーメイスンの本場だもんな、おいらより知っていて当たり前かもな。
寺さん
つまるところ知らぬは日本人ばかりなりということでっかね?
吐魔素黄門様:
残念ながら、その様じゃのぅ。大体が、先進国の知識人たちは殆どの人々が知っておるようじゃのぅ、日本を除いてな(冷笑)。
寺さん
じゃ~そろそろ、その都市伝説を聞かせてくんなまし。
秀さん
だっか~ら~っ、都市伝説じゃね~っていうの、わからね~奴だなぁ、このオタンコナスめ。長い間のあの手この手の情報操作や印象操作、そして虚実入り混ぜた情報攪乱によって都市伝説化してきたんだっつ~の、よーするに奴らの手なんだよ。
寺さん
ふ~ん、特にお人よしの日本人が引っかかっているっつーわけか。
吐魔素黄門様:
まあ、よい。そろそろいくぞなもし。それでは最初にフリーメイスンの日本上陸について語ろうかいな。それは慶応二年、つまり1866年のことなのであ~る。この年にイギリス陸軍第二十連隊が香港から横浜へイギリス人居留地の警備のためにやってきたのじゃよ。そしてこの軍隊の中に軍人結社であるスフィンクスという結社が存在したのであ~る。これはアイルランド系のフリーメイスンだったのじゃ。そしてほどなく軍から離れてスフィンクスというロッジをつくったのじゃよ。この横浜において既に日本に住んでいた外国人の民間人を集めて、移動する形式の軍人ロッジではなく陸上に拠点を持つ定住ロッジの体裁を整えたわけじゃな。場所は現在の横浜の本町72番地であるぞよ。尚、フリーメイスン系の団体や集まり、そして支部などを世界中でロッジと称したんじゃ。ところでイギリス本国ではイギリス政府にフリーメイスンの種々のグループがこのようなロッジを認める様に政府に申請を出したのじゃが、この申請が政府によって許可されたのがやはり1866年なのであ~る。政府に許可された後に世界で初めての、つまり第一回目のロッジの集会が同じく1866年に開かれたのじゃ。これにはスコティッシュ系フリーメイスンの西インド地区副代表であるカートライトが出席し、初代ロッジ長にウィリアム・モタが就任しておるんよ。その後2代目ロッジ長にイギリス近衛連帯の将校であるG・M・スマイスが就任しておるのじゃ。
寺さん
でも、こげんことは学校の歴史ではな~んも教えてくれまへんな。
秀さん
教えちゃ拙いことでもあるのかな。
吐魔素黄門様:
アッハッハッハ、あっそう、日本の歴史教科書では教えてないのかいな。日本の歴史教科書はどないなっておるんかいのぅ。同じ年に薩長同盟も結ばれておるのじゃが、まあよいわい、フッフッフッフ(意味深な笑い)。
秀さん
ね~、何よ、何なのよ、その笑いは。
吐魔素黄門様:
いやな~に、その後このロッジは裏で色々と画策・暗躍することになるのじゃよ。
寺さん
何を暗躍するっつ~の?
吐魔素黄門様:
ナニナニ、それはこれから先へ行ってのお話ということじゃな。まあとにかく幕末には色んな事件が起きちょるのじゃが日本の近現代史の真相に近づくにはフリーメイスンについて調べんと真実には辿りつけんのじゃよ。それと日本の近現代史においては出自についても注目せんとやはり真実には迫れないぞよ。何せ明治維新は同和維新じゃからなガッハッハッハ(またまた意味深な大笑い)。
寺さん
ますますわからなくなってきましたわいな。
秀さん
ね~、何よ、もう、いいかげんに勿体つけんのは勘弁してくりゃれ、トマスのおっさんよ。
吐魔素黄門様:
今回はこれにて閉幕じゃな、わしもそろそろ次の出番がまっておるからな、それでは今回はバイバイさようならといこうかいな。こりゃ~この舞台も先が楽しみになってきたわいな、グッフッフッフ(ニヤニヤと一人悦に入る自己満足の笑い)。
そうそう、余談ですが、フリーメイスンのシンボルの一つで結構有名なのが、「三角形の中に眼」が描かれているのがありますが、これはアメリカのドル札の裏面にも印刷されてますナ(興味のある方は実物をご確認ください)。
このことでも「フリーメイスンがアメリカを作った」というメタファー(暗喩)が込められていて面白いですネ。まッ、“これも都市伝説じゃね~の?”などと言う方々、でも、これは都市伝説ではないのかも知れませんヨ・・・・・。
そんなこんなで、吐魔素黄門様の言うとおり、先の演目が楽しみですネ。それでは、次回に乞うご期待!