第三章

私メが色々な真珠湾攻撃についての書物をゲップが出るほど沢山読んできて(笑)思う決定的な疑問点があります。それは真珠湾は勿論のこと、その周辺の軍事施設が載った詳細な地図のことです。これが無いと奇襲プランは成り立ちませんし海軍大学での図上演習もできません。この地図を日本海軍はどうやって作成したのでしょうか。あるいは手に入れたのでしょうか。というのも、あれだけの兵力を集中しハワイ北方に辿り着くことは航法により可能なのですが6隻の空母から飛び立った第一波、第二派合わせて約三百五十機の戦闘機(零式戦闘機)・急降下爆撃機(99式艦上爆撃機、250キログラム爆弾搭載)・雷撃機(97式艦上攻撃機、浅沈度魚雷搭載)・水平爆撃機(雷撃機と同型機の97式艦上攻撃機を使用、ただし搭載爆弾は戦艦陸奥・長門用の40センチ主砲弾を改造した800キログラム徹甲弾を搭載)はハワイ上空までは辿り着けてもその後は出たとこ勝負というわけにはいきません。攻撃地点上空に到着してからターゲットを探しているようではとてもじゃないが奇襲攻撃の成功など望めません。艦船の繋留位置は勿論の事、燃料貯蔵タンク・艦船の修理工廠・弾火薬庫・そして何よりも飛行場(複数存在)などの位置を予め確実に把握していなければなりません。攻撃中はハワイ上空の制空権を何が何でも確保しなければならないのです。
つまり、アメリカ側の航空機の破壊と飛行場の滑走路への爆弾攻撃は奇襲を成功させるための必須条件でもあるのです。つまり攻撃目標地点上空は勿論の事その周辺の制空権の確保は絶対的に必要なのです。これが確保されないと急降下爆撃機・雷撃機も水平爆撃機も落ち着いて狙った標的に照準を定められません。もし敵の飛行場から日本機を迎撃するためにアメリカの戦闘機が飛び立ってきたら非常に厄介なことになります。それに日本海軍の機動部隊が攻撃終了後、攻撃発起点のハワイ北方海域から避退行動を取る時に敵の攻撃機や雷撃機、さらに爆撃機等に攻撃されないようにしなければならず、敵の航空基地とそこに駐機されている航空機の破壊が重要なことは論を待たないのです。さてそれでは話が元に戻りますが日本海軍はその攻撃目標の詳細な地形図をどの様に作成したのでしょうか。いや、その元になる地形図をどの様に手に入れたのでしょうかと言った方が正しいのですが・・・・・・・。 実はこれについては裏に隠されたストーリーがあります。それも米内光政の真珠湾攻撃についての今まで隠されてきた本音を垣間見ることのできる重要な物語なのです。それは米内光政が山本五十六の強い要望(作戦の総指揮官である以上当然です)を受け入れて真珠湾奇襲攻撃実行のために是非必要なハワイ諸島の軍事施設を網羅した詳細な地図を作製するために豊田貞次郎を使ってセンピルに協力を求めたことです。それを受けてセンピルは部下のフレデリック・ジョセフ・ラトランドをホノルルに送ります。あの日本海軍のパイロット達に空母への離着艦技術を教えた元イギリス空軍のエースパイロットです。彼はハワイの軍事施設の調査を始めますがFBIにマークされており結局逮捕されてしまいます。そして彼は二年間アメリカで監獄に収監されその後イギリス本国に送還されました。つまり米内の思惑は実らなかったことになります。勿論日本側も吉川猛夫(元海軍少尉)の様な諜報員は存在しましたが、幾ら日系二世が多い土地柄とはいえ日本人はやはり目立ちます。その活動には自ずと限界があったでしょう。そこでアメリカ人と風貌が変わらない人物を送り込んだという側面は否めないと思われますがそもそも吉川の主な任務は真珠湾へのアメリカ海軍の艦船の出入りを細かく観察してその動静を日本側に報告するのがメインの仕事ですからね。
ところで先ほどの豊田貞次郎の話に戻りますが、この人物は海軍大学卒業後にイギリスのオックスフォード大に留学し、大正13年2月にイギリス大使館付武官としてロンドンに着任した海軍軍人で軍の階級は最終的には海軍大将まで上り詰めています。そのほか海軍次官、商工大臣、外相兼拓相、軍需相、貴族院議員,さらには日本製鉄の会社社長等を歴任した後に昭和21年には公職追放になった、海軍軍人というよりは政治軍人的な異色の経歴を持った人物でもありましたがコミンテルンではなく日本国内の共産主義者グループの一員(陸・海軍軍人、政治家、官僚、学者、ジャーナリスト、偽装右翼等々、付け加えれば皇室の宮様たちも含まれる)でした。そして米内とは緊密な上下関係の仲でありセンピルとも良好な関係の人物でした。センピルが1927年に豊田に送った手紙がイギリスに残っていますが、センピルは兵器の軍事技術を豊田を通じて日本に送っていたのです。国家機密情報保護法違反ですな。つまりセンピルは日本側のスパイになっていたのです。例えばイギリスのブラックバーン社の航空機の機密情報を日本に流し報酬を得ていたりしました。この航空機は大型の飛行艇で後にこの設計図を元にして川西航空機が九十七式大型飛行艇(九十七式大艇)として完成させています。胴体はほぼ設計図通りですがエンジンは日本では三発ではなく四発で翼も複葉ではなく単葉でした。この飛行艇はその後二式大型飛行艇(二式大艇)に発展し、その技術遺産は戦後のUS1からUS2へと引き継がれていきます。
つまり先だって太平洋で遭難した日本テレビのキャスターを救出したあの海上自衛隊の新明和工業製(戦闘機 紫電改を制作した戦前の川西航空機)のUS2はこのイギリスの飛行艇アイリスがルーツだったのです。センピルがスパイになった経緯については話が長くなるので何れかの機会に譲りたいと思いますがセンピルには多額の借金がありました。
さて話を元にもどします。そもそも山本五十六が真珠湾奇襲を実行するに当たって喉から手が出るほど必要としたものは真珠湾の水深の情報とハワイ諸島のアメリカの軍事施設や飛行場などが載っている詳細な地形図だったことは間違いありません。これなくしてこの奇襲プランは成り立たなかったのです。 これについては米内もよく理解していたでしょう。だからこそのセンピルへの依頼だったのです。いよいよ話はこれからアメリカ、そしてソ連へと広がっていくのですが。やはり「蛸壺史観」では近現代史の真相には迫れないということでしょうね(含み笑い)。 ・・・・・・・(次回に続く)