ミンストレル・トマス登場! Play 1

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※ミンストレル・トマス(Minstrel Thomas)は外国(主に欧・米)の裏話をご披露いたします。

今回の「歴史よもやま裏話」はミンストレル(吟遊詩人)・トマス、お初の顔見世興行ですナ。そんなことで、ウォーミングアップをかねまして“チョッと時流に乗った話題を軽くジャブ程度に繰り出す”ということで自慢のパフォーマンスをご披露していただきますかネ・・・・。それでは、Introduce somebody all around of Minstrel Thomas(皆様にミンストレル・トマスをご紹介いたします。)!

※本文中の敬称略

今年のノーベル文学賞は結局ボブ・ディランが受賞したのじゃが、しかし“時代は変わる(ボブ・ディラン作)”ものじゃのぅ。
そういえば、かってジョン・レノンがチャック・ベリーを称して現代の“吟遊詩人”と表現したものだが、正しくボブ・ディランは、いささかなりともそれに当て嵌まるとは思っていたもののまさかノーベル賞を受賞するとはのぅ。これで吟遊詩人たるワシの商売も上がったりになっちゃったりして・・・・・(苦笑)。
さてさて、そのジョン・レノンだが今更彼についてヒトクサリ述べなくとも皆の衆はよく御存知じゃろうから、これについてはビートルズのお話ともども省かせてもらうが、ちょっと視点を変えて軽~く小噺を一つばかり口ずさんでみようかいな。それはジョン・レノンとその奥方になり申した小野ヨーコに因んだお話なんだが何と言ってもジョンは“ジョンとヨーコのバラード”なんちゅう曲を作ってヒットさせた位じゃけんヤッパ惚れてたんでしょうな。二人のおかげさまで一時“ピース”とか“ベッド・イン”な~んてフレーズも流行ったりしたものだがそういや~、あの頃は世界中でベトナム反戦運動もお盛んだったしその影響もあったのはよくわかるにしても“ピース”はともかくとして何で“ベッド・イン”なのかはイマイチよく解らなかったが(失笑)、まあ、とにかくジョンが時代の寵児だったことは疑いのない事実であったのは間違いなかんべ~よ。
そんでこのジョンの奥様になりおおせたヨーコ君、ジョンの死後莫大な遺産や権利を手にすることになったが、謂わば当時の“現代版シンデレラ姫”のようなお立場になったってわけよ。もっともこのお方、皆の衆も御存じの様に見てくれもその内面もシンデレラ姫とは似ても似つかないお人ではあったのじゃが。というのは人間、好みは十人十色だからして見てくれはともかく、内面については彼女の場合は学生時代は核マル派の中でも最も過激な女闘士だったんだもんね。一方ジョンはといえばヨーコ君と結婚する前までは反戦主義者でございました。ほんでもって一緒になってからはアッというまに共産主義者に変貌しちまったのでございます。ワシが寺陀 某から仕入れた情報によれば当時アメリカでは当局からしっかりとマークされておったそうじゃ。しかしながら女の威力、オット間違えたわい、威力じゃなくて魅力、ふむ、これもチョットばかりフィットせんな、オオそうじゃ“魔力”の方が当たっているかもしれん、よしこれでいくもんね。どうじゃジャスト・フィットじゃろうがウッシッシ、ありゃ~っ、危うく忘れるところじゃったがジョンは麻薬のトラブルでマフィアに殺されたんじゃが、これは日本では意外と知られておらんぜよ。さて話を元に戻すとじゃな、ヨースルに女は怖いっちゅうことなのよ。なんせ殿方のお考え、つまり思想にまで影響を与えることができるのじゃ。とにかく女には十分注意せんとな。気が付いた時にはケツ、オットット間違えたわい、ケツじゃなくってお尻の毛まで抜かれてしまうぞなもし、それに魂まで抜かれることも有る様じゃからしてくれぐれも注意せんとな。事件の陰に女有りともいうし当然ながら歴史の“裏に女有り”じゃけん皆の衆は心して日々送らねばなるまいて、お~クワバラ、クワバラじゃよイッヒッヒッヒ・・・・・(自嘲)。
では、この辺りでお開きということで・・・・、ポロロ~ン♪ポロロ~ン♪ と愛用のライアー(竪琴)の音も高らかに去っていくミンストレ・トマスでありました。 See You again!

んッ! 軽くジャブ程度のお初興行のわりには観る人によっては案外重めの内容でしたナ。ビートルズやジョンのファンの方々は何とも複雑な心境でしょう。 若干ニュアンスは違いますが、これも“歌は世につれ世は歌につれ”ですかネ。それとも冒頭にも触れてますが“時代は変る(The Times They Are a changin’ Bob Dylan/1964 )”ですかナ?

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ジョン・レノンのプロフィール

ジョン・ウィンストン・オノ・レノン(John Winston Ono Lennon, MBE、1940年10月9日 - 1980年12月8日) は、イギリスのミュージシャン。ロックバンドたるザ・ビートルズのメンバー。ヴォーカル・ギター・作詞作曲を主に担当した。出生名はジョン・ウィンストン・レノン(John Winston Lennon)。オノ・ヨーコとの結婚に際しジョン・ウィンストン・オノ・レノンと改名。

1960年代に伝説的な成功を収めたロックバンド、ザ・ビートルズを立ち上げたリーダーであり、ポール・マッカートニーと「レノン=マッカートニー」としてソングライティングチームを組み、大半の楽曲を製作し、メイン・ヴォーカルをポールと共に務めた。1970年のビートルズ解散後はアメリカを主な活動拠点とし、ソロとして、また妻で芸術家のオノ・ヨーコと共に平和運動家としても活動した。1975年から約5年間音楽活動を休止した後1980年に活動を再開するも、同年12月8日23時頃(米国東部時間)にニューヨークの自宅アパート「ダコタ・ハウス」前においてファンを名乗る男性に射殺された。「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第5位。同誌の「歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第38位、「歴史上最も偉大な100人のソングライター」において第3位。「歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において第55位。「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第5位。ビートルズとしても、またソロシンガーとしても音楽界に多大な功績を残し、死後も絶大な影響を与え続けている。