歴史よもやま裏話 Play 2

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※ミンストレル・トマス(Minstrel Thomas)は外国(主に欧・米)の裏話をご披露いたします。

「歴史よもやま裏話」はミンストレル(吟遊詩人)・トマス、2回目の興行です。
今回は少し短めのバラードをプレイしますかネ。何しろトマスおじさんはコスプレ三昧でして、ここに来て若干お疲れのようです。そんなこんなでマネジャー(劇場支配人)から休息の指示が出ておりました・・・・。それでは自慢のパフォーマンスをご披露していただきますかネ・・・・。 come on !somebody all around of Minstrel Thomas(皆様、ミンストレル・トマスのご登場です。)

この話は近現代史というよりは、現代史の範疇に入ると思うが今回はこれで行こうかいな、ウン、そんでじゃな、何やら毎回オナゴに関しての話が多いので、ワシ自身が大の女好きと思われるのも心外じゃけん、たまには殿方の話でもするかのぅ。それはある一人の※1FBIのスパイのお話なんじゃが、そのスパイの任務は映画界とマフィアの関係を調べることだったのじゃ。当時のアメリカも日本と同じで御多分に漏れず映画・芸能等の興行界はマフィアが牛耳っておったのじゃが、この情報をFBIに提供していた人物がいたのじゃが、はて誰だとおもいますかな?一つヒントを与えようかいのぅ。それは映画俳優だった男じゃよ。うん?なんじゃ、わからんかな、ウームでは教えて進ぜようぞ。その人物のコードネームは“T-10”というてな、FBI長官の※2エドガー・フーヴァーの指揮の下で芸能人とマフィアの関係を探っておったのじゃよ。ホレッあの※3フランク・シナトラがアメリカ連邦議会に召喚されて尋問されたことがあったじゃろうて、あの情報をフーヴァーに教えた人物じゃよ。ちゃ~んとコードネームが付いていたところをみると、やはり紛れもなくスパイだったようじゃのう。エッ、だから誰なんだよってか?そう急がせなさんな(苦笑)。その人物はじゃな、何を隠そう、アメリカ合衆国の第40代大統領になったあのロナルド・ウィルソン・レーガンじゃよ。皆の衆も御存じの様に、俳優から政治家になり、カリフォルニア州知事を経て大統領にまで上り詰めた人物じゃな。ワシに言わせれば彼は反共の闘士であり、名うての愛国者でもあったのじゃが、かつてのソ連を「悪の帝国」呼ばわりしたり、SFチックな「スター・ウォーズ計画」を発表したりと話題には事欠かない大統領でもあったっけかな。でもワシが思うにスパイというよりは国の協力者という方が当たっていると思うわいな、皆の衆はどう思いますかな(微笑)。

そういえばレーガンは、カリフォルニア州知事に出馬して当選し、1967年1月に第33代カリフォルニア州知事になってますネ。この時に支援活動を行ったのがフランク・シナトラで、1985年にはレーガンより、シナトラの長年の活動が認められて、大統領自由勲章を授与されてますナ。
そんなことよりも、最も注目なのは“フリーメイソン”であるフーヴァーの方ですかナ。これは新しくキャスト入りしました第260代ローマ教皇「ピウス12世」さんが言及されてましてネ。まぁ~、この件に関しては何れまた演じることにしますが・・・・。

(文中敬称略)

「ロナルド・ウィルソン・レーガン」のプロフィール

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ロナルド・ウィルソン・レーガン(Ronald Wilson Reagan, 1911年2月6日 - 2004年6月5日)は、アメリカ合衆国の俳優、政治家。カリフォルニア州知事、第40代大統領を歴任。歴代2番目の高齢(69歳349日)で選出されたアメリカ大統領であった 俳優からカリフォルニア州知事に転じ、その後1980年に大統領に就任した。なお、俳優時代にハリウッドでスパイとしての活動を行い赤狩りのため協力を行っていた。そのことでその後の為政者としての地位を高めたと言われている。1期目はアメリカ経済の回復を政策目標に掲げ、「レーガノミックス」に代表される大幅減税と積極的財政政策を実施し、経済の回復とともに双子の赤字をもたらした。レーガンは外交に関しては殊、強硬策を貫き、ベトナム戦争以来の本格的な外国への武力侵攻をグレナダに対して行う等、「強いアメリカ」を印象づけた。2期目はイラン・コントラ事件に代表される数々のスキャンダルに見舞われ、レーガン政権の体質に対して各方面から辛辣な批判が目立ったものの、レーガンはデタントを否定し、ソビエト連邦を「悪の帝国」と批判。「力による平和」戦略によってソ連及び共産主義陣営に対抗する一方、「レーガン・ドクトリン」を標榜し、イギリスのマーガレット・サッチャー首相や日本の中曽根康弘首相、西ドイツのヘルムート・コール首相などの同盟国の首脳と密接な関係を結び世界中の反共主義運動を支援した。前者はソ連の解体、後者はベルリンの壁崩壊に代表される東側諸国の民主化に繋がり、レーガンは冷戦の平和的な終結に大きく貢献した。

注 解(これらの注解は主に一般的な定説・通説に基づいています。)

※1.FBI(エフビーアイ)
連邦捜査局(れんぽうそうさきょく、英語: Federal Bureau of Investigation, FBI)は、アメリカ合衆国の警察機関の一つ。1908年7月26日、シークレットサービスの現役捜査官9名・元捜査官14名の移籍を受けて、スタンレイ・フィンチの指揮下に捜査局(Bureau of Investigation, BOI)が設置された。アメリカ合衆国司法省において、連邦法に関する事案の捜査を任務としている。日本では“アメリカ連邦捜査局”ともいう。具体的には、テロ・スパイなど国家の安全保障に係る公安事件、連邦政府の汚職に係る事件、複数の州に渡る広域事件、銀行強盗など莫大な被害額の強盗事件などの捜査を担当する。さらに、誘拐の疑いのある失踪事案では、事案認知から24時間を経過すると、広域事件として自治体警察からFBIに捜査主体が移される。本部はワシントンD.C.ペンシルベニア通り935番北西(ジョン・エドガー・フーヴァービルディング)に位置する。ワシントンD.C.のポトマック川対岸にあたるバージニア州北部にクワンティコ本部が置かれている。エドガーフーヴァー・ビルは行政部門の中心であり、クワンティコ本部が捜査部門の中心となる。

※2.エドガー・フーヴァー
ジョン・エドガー・フーヴァー (John Edgar Hoover, 1895年1月1日 - 1972年5月2日) は、アメリカ連邦捜査局(FBI)の初代長官である。1924年5月10日に司法省内の捜査局(Bureau of Investigation:BOI)の第6代長官に任命され、組織がFBIに改称された後の1972年に死去するまで長官職にとどまった。就任当時の第29代カルビン・クーリッジから第37代リチャード・ニクソンまで、8代の大統領に仕え、これは現在に至るまで合衆国で、最も長く政府機関の長を務めた人物の記録となっている。なお彼以降はFBI長官任期は、10年に制限されている。フーヴァーはFBIを巨大な犯罪捜査機関として強化したことや、指紋ファイルや法医学研究所などの捜査技術の近代化と科学的な捜査手法を導入したことで称賛された。晩年と死後、フーヴァーは権力の乱用が明らかになり議論の余地のある人物となった。彼はFBIの管轄権を超え、政治的な反対者や活動家に対してFBIを使って秘密ファイルを作成し、不正な方法を使って情報を収集したことが判明した。その結果、フーヴァーには権力が集中し、大統領をも脅かす立場となった。ハリー・S・トルーマン大統領によれば、フーヴァーはFBIを秘密警察へと変えた。トルーマンは次のように述べている:「ゲシュタポや秘密警察は欲しくない。FBIはその方向に向かっている。彼らはセックススキャンダルと明らかな脅迫でちょっかいをだしている。フーヴァーは乗っ取るために目をつけ、上院と下院の全ての議員は彼を恐れている。」

※3.フランク・シナトラ
フランシス・アルバート・"フランク"・シナトラ(Francis Albert "Frank" Sinatra、1915年12月12日 - 1998年5月14日)は、アメリカのジャズ・ポピュラー歌手。現在も歌い継がれる数々の世界的大ヒット曲やゴールドディスクを世に送り出し、その卓越した歌唱力によって「ザ・ヴォイス」と称された。エルヴィス・プレスリーやマイケル・ジャクソンなどと並び、20世紀を代表する歌手の一人である。第二次世界大戦前の1930年代より死去する1990年代までの長きに渡り現役の歌手として活動し、数々のミリオンセラーを連発し、また多くのミュージシャンに影響を与えた。「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第3位にランキングされた[1]。さらに1940年代以降は映画俳優としても活躍し、1953年には第26回アカデミー賞助演男優賞を受賞している他、本格的大作からミュージカル映画、コメディ映画まで数多くの名作、ヒット作に出演している。しかし、デビュー期からイタリア系マフィアとの深い関係が度々取りざたされており、またマフィアを介してジョン・F・ケネディ大統領と親密な交友関係を持ち、ケネディの大統領当選に貢献したものの、後に仲たがいしたことから、同大統領の暗殺に関与したと噂されたこともある。

・上記注解は「wikipedia」 1917/5/20 より部分転載