「噂の玉手箱」巻の弐

前回に引き続きまして、ここは巣鴨のとある湯屋(銭湯)でございます。んッ、またまた湯船で妙な音がしますが・・・・、
あ~、また出ましたネ、ブリキ製ゼンマイ仕掛けの亀のおもちゃですヨ。相変わらずジージーとうるさいですネ~。
ボコ・ボコ・ボコ・・・、とッ、今回も湯船から浦島吐魔素さんのご登場です。 おやッ、何か言ってますが、何ですと“この前と同じ舞台設定でなんか面白くないのゥ”なぞとのたまわっておりますゾ(うるさいナ)。
あのネエ、当劇場は発足して間もないんで、そんなに興行的に潤ってないんですヨ。大道具なんかは使い回しで節約ですヨ・・・・・?!
あらッ、後ろにおられるのはもしかしたらニューキャストの乙姫様ですかナ。これは失礼いたしました。 なるほどネ、それでトマスおじさん、いやッ違った浦島吐魔素さん、新人乙姫様の前で良いところを見せようとしてますネ・・・・。
てなわけで、浦島吐魔素さんには舞台設定なんぞはチョッと我慢してもらいまして、その代わりに乙姫様パワーを貰って、快調にモノローグ(独演劇)を展開してもらいましょうかネ!

乙姫様のプロフィールは「コスプレ・パラレルワールド」を見てネ。

今回の噂は元※1日本社会党の委員長であり、元日本国の内閣総理大臣であった※2村山富市の噂話じゃよ。ほれ、安全保障法制に反対し、一時機メディアに頻繁に御登場しておったもんじゃが、地獄界においてはもっぱら中国の工作員ということで、知らぬ者はいないそうじゃ。閻魔大王によれば地獄界の閻魔帳にも載っているとのことじゃな、なにせ確定ランプが点滅しておるそうじゃよ。そもそも、かつては一時機あの松本治一郎の書生として三年程仕えておったんじゃよ。例の国会の爆弾男と言われた※3楢崎弥之助(※4社会民主連合)も松本治一郎の秘書として長年仕えていたが、当然楢崎は共産主義者である。つまり松本治一郎の書生だった村山富市も共産主義者ということになる。そもそも日本社会党は※5大川周明がソ連から資金(当時の金額で50万円)を持ち込んで創ったものでスタさん(スターリン)の指示によるものなんじゃよ。過激な日本共産党よりも穏やかな社会主義政党を創つて、アメリカや日本国民を欺くためにな。もちろん、結党に際しては松本治一郎が裏で暗躍しとったわい。スタさんが死ぬ前から松本はソ連と中国を天秤にかけてコントロールしておったが松本の死後は中ソ対立の影響もあって、ソ連と中国で工作員の取り合いになっていたんじゃよ。その後、殆どの日本側工作員は中国に乗り換え、残っていた工作員もソ連崩壊を機に、ほぼまるごと中国の工作活動に協力するようになったっちゅうわけじゃな。閻魔帳によると※6亀井静香※7藤井裕久※8武村正義も工作員ではないかもしれないが間違いなく協力者ということみたいじゃな。フン、どうりでっちゅうわけか、納得じゃよ。亀井も藤井も武村も中国人との接触が多いんじゃが、それもかなり頻繁という噂じゃな、そうそうこの三人はいづれも同和じゃが、それにしても、亀井静香はかって石原慎太郎共々自民党の※9晴嵐会に所属しておったはずじゃが、要するに偽装保守だったということになるかのぅ。亀井の任務は晴嵐会の監視とコントロールだったというわけか。そういえば話は変わるが、竜宮城の乙姫様いわく、相も変わらず中国の女工作員が暗躍しとるそうじゃ。例えば「安倍首相は日本が中国を侵略したと認めてほしい」などとホザイタあの※10北岡伸一じゃが、地獄耳の“百眼の秀”の情報によれば、かつては親ソ連だったが中国が強引に工作員と思しき中国女(現在の愛人?)を使って中国側に引き摺り込んだとの噂じゃよ、何のことはない、元々共産主義者だったということかいな。おう、そうじゃった、これも乙姫様からのお話なんじゃが、あのTBSの「時事放談」の※11御厨 貴も竜宮城界隈の巷の風聞によると現在の愛人は中国人の女だそうな、やはり工作員らしいぞよ。そういえば、御厨は自身の著作の中で※12升味準之輔に褒められたとかで尾っぽを振って喜んでおったが乙姫様に言わせれば升味準之輔は知る人ぞ知る共産主義者ということじゃが、升味に褒められたのが余程嬉しかったとみえるのぅ。、つまりこの御厨も惚けておるがやはり隠れ共産主義者ということか。因みに閻魔大王と乙姫様の両方が口を揃えてノタマうにはこの御厨は在日だそうじゃ。とにもかくにも、中国の情報工作は未だに現在進行中であり、まだまだこんなもんじゃ収まるまいよ、メディアの中も多いが、もちろん学者だけでなく政治家も仰山おるわい。これについてはいずれ又の機会ということで・・・・(含み笑)。しかしなんじゃな、日本の殿方達はなかなか懲りんもんじゃのぅ。昔ソ連で、今中国ってわけか。まったくもって笑ってる場合ではないぞなもし。ほんまにワシは泣きたくなってきたわい(泣き笑)。
(文中敬称略)

これは、これは、実に乙姫様情報はすごいですナ~、さしずめこれは“女の勘”ですかネ。
そういえば「浦島太郎」の物語では、“亀に誘われて海深くの(あまりに楽しく、天国のような)竜宮城でいつとも知れぬ年月を過ごして、戻ったときはお年寄り”という概要ですネ。もしかすると昔からこんな感じでいろいろな殿方を誘い込んで情報を得ていたということですかナ。まッ、所詮これはパラレルワールドのお話ではありますがネ。
でも、このお話、SFチックではありますが、何か日本に近い★どこぞの国の拉致問題のようでもありますナ~。 まさか、「浦島太郎」の物語を参考にしたなんてことはないでしょうネ?ちなみに戦後間もなくの在日朝鮮人に対する「帰国推進事業」では、自国を“楽園”とか“天国”とかいって啓蒙してましたナ。
そうそう、その国も中国とは浅からぬ関係のお国でしたネ・・・・・・。

★その手口の代表的なものは、日本海沿岸、東シナ海沿岸に(亀ならぬ)工作員を密かに上陸させ(遠洋には潜水艦が待機)、付近を偶然通りがかった若者を拉致するというもの。

注 解(これらの注解は主に一般的な定説・通説に基づいています。)

※1.日本社会党(にほんしゃかいとう)(英語: Social Democratic Party of Japan)
かつて存在した日本の政党。略称は社会党、SDPJ。新聞やメディアでは民社党と混同しないよう社党と記される場合もある。1945年に旧無産政党系の政治勢力を結集して結成され、1996年に社会民主党に改名した。第二次世界大戦前の社会大衆党などを母体に、非共産党系の合法社会主義勢力が一同団結する形で結成された。社会大衆党は左派の労働農民党、中間派の日本労農党、右派の社会民衆党(後の民社党)などが合同したもので、右派・中間派は民主社会主義的な社会主義観を、左派は労農派マルクス主義的な社会主義観をもち、特に分裂して民社党を結成していく右派は反共主義でもあった。尚、最初の結党の動きは、終戦の翌日に西尾末広(後の民主社会党委員長)と水谷長三郎が上京に向けて動き出すところから始まり、旧社会民衆党の議員が中心となって動き出した。

※2.村山富市(むらやまとみいち)
(1924年3月3日 - )は、日本の政治家、労働組合指導者。労働組合運動から日本社会党の政治家となり、大分県大分市議会議員(2期)、大分県議会議員(3期)、衆議院議員(8期)、日本社会党委員長(第13代)、内閣総理大臣(第81代)、社会民主党党首(初代)等を歴任。2016年現在は社会民主党名誉党首である。いわゆる「村山談話」を発表したことで知られる。勲等は桐花大綬章。軍人としての最終階級は陸軍軍曹。

※3.楢崎弥之助(ならさきやのすけ)
{1920年〈大正9年〉4月11日 - 2012年〈平成24年〉2月28日},日本の政治家。本名は、楢崎 弥之祐(読みは同じ)。衆議院議員(11期)、社会民主連合書記長、同党副代表を歴任した。衆議院議員を務めた楢崎欣弥は長男。ロッキード事件やリクルート事件など数々の疑惑を暴いたため「国会の爆弾男」との異名を持ち、政治スキャンダル追及の中心的役割を担う存在であった。

※4.社会民主連合(しゃかいみんしゅれんごう)(英語:Socialist Democratic Federation、SDF)
かつて存在した日本の政党。略称は社民連(しゃみんれん)。1978年、日本社会党を離党した国会議員を中心とした社会市民連合(しゃかいしみんれんごう)と社会クラブ(しゃかいクラブ)が合流して結成された。1994年、日本新党、新党さきがけへの合流に伴い解散。

※5.大川周明(おおかわしゅうめい)
{1886年(明治19年)12月6日 - 1957年(昭和32年)12月24日}、日本の思想家。 1918年、東亜経済調査局・満鉄調査部に勤務し、1920年、拓殖大学教授を兼任する。1926年、「特許植民会社制度研究」で法学博士の学位を受け、1938年、法政大学教授大陸部(専門部)部長となる。その思想は、近代日本の西洋化に対決し、精神面では日本主義、内政面では社会主義もしくは統制経済、外交面ではアジア主義を唱道した。なお、東京裁判において民間人としては唯一A級戦犯の容疑で起訴されたことでも知られる。しかし、精神障害と診断され裁かれなかった。晩年はコーラン全文を翻訳するなどイスラーム研究でも知られる。

※6.亀井静香(かめいしづか)
(1936年11月1日 - )、日本の警察官僚、政治家。階級は警視正(警察庁退官時)。衆議院議員(13期)。 運輸大臣(第69代)、建設大臣(第64代)、自由民主党政務調査会長(第43代)、国民新党代表(第2代)、内閣府特命担当大臣(金融担当)などを歴任。

※7.藤井裕久(ふじい ひろひさ)
{1932年(昭和7年)6月24日 - }は、日本の引退した政治家、元大蔵官僚。民主党顧問。参議院議員(2期)、衆議院議員(7期)、自由党幹事長、民主党幹事長、民主党代表代行、大蔵大臣(第98・99代)、財務大臣(第12代)、民主党最高顧問などを歴任。

※8.武村正義(たけむらまさよし)
{1934年(昭和9年)8月26日 - }、日本の自治官僚、政治家。八日市市市長、滋賀県知事(3期)、衆議院議員(4期)、新党さきがけ代表、内閣官房長官、大蔵大臣を歴任。政界引退後は龍谷大学客員教授、徳島文理大学大学院教授を務めた。

※9.晴嵐会(せいらんかい)
1973年、自由民主党の派閥横断的に結成された保守派の衆参両若手議員31名からなる政策集団。石原派と呼ばれた。青嵐は寒冷前線の意味で、会名は「渾沌停滞した政界に爽やかな風を送り込もう」という意味を込めて石原慎太郎が命名した。設立趣意書には「いたずらに議論に堕することなく、一命を賭して、右、実践する」とあり、結成時に石原の提案で会員名簿に血判状を捺した事で知られる。中華民国支持の立場をとり、田中角栄首相による日中国交正常化に伴う中華民国との断交に絶対反対の姿勢を貫き、自民党外交部会などで強硬に主張した。1973年の「日中国交正常化1周年記念」に対抗して「中華民国断絶1周年訪問団」を結成し、台北市を訪問した。自民党議員による北朝鮮訪問を実力で阻止したこともある。反共を標榜していたが、当時中ソ対立で中華人民共和国と対立していたソビエト社会主義共和国連邦に対しては柔軟で、在京ソ連大使館職員を招いて勉強会を開くなどしている。

※10.北岡伸一(きたおかしんいち)
{1948年(昭和23年)4月20日 - }、日本の政治学者・歴史学者。国際協力機構(JICA)理事長。政策研究大学院大学客員教授、東京大学名誉教授、法学博士(東京大学、1976年)[1]。元国連次席大使(2004年4月から2006年8月まで)。前国際大学学長。専門は、日本政治外交史。

※11.御厨 貴(みくりやたかし)
(1951年4月27日 - )は、日本の政治史学者・政治学者(博士(学術))。東京大学・東京都立大学名誉教授。放送大学客員教授。青山学院大学国際政治経済学研究科特任教授。専門は、近現代日本政治史、オーラル・ヒストリー。復興庁復興推進委員会委員長代理を歴任。またTBSの「時事放談」のMCを担当。祖父は戦前の貴族院議員で、司法大臣にも就いた、父は裁判官。趣味はボウリングと自宅でのワイン会。

※12.升味準之輔(ますみ じゅんのすけ)
(1926年4月1日 - 2010年8月13日)は日本の政治学者。東京都立大学名誉教授。長崎県出身。東京大学法学部卒業。長年にわたって、東京都立大学法学部で教鞭をとった。戦後日本の政党政治を「55年体制」と名づけたことで知られる。

・上記注解は「wikipedia」 1917/5/20 より部分転載