「目鱗新報」第一報

ピー・ピッ・ピッ・ピッ・ピー・ピッ・ピッ・ピッ 「目鱗新報」トマス記者によります第一報をお届けいたします。これによりますと・・・・・。

なんてネ、チョッと昔のニュース映画風のイントロで始めさせていただきました。とはいっても目鱗新報社はタブロイド紙ですネ、ん~ッ、昔のニュース映画ではタブロイド紙が一報を打つなんてことはありえませんが、まッ、そこは雰囲気ということで悪しからずです。
尚、今回は緊急報道ですので、当社のエース「闇の事件記者トマス」がじきじきにこのスクープ報道を語っていただきました。
ところで、この「目鱗新報」のネーミング由来ですが、見てのとおり“目から鱗が落ちる”の略ですナ・・。では、トマス記者のご登場です!

さて、この松本治一郎だが本当の正体はコードネーム“RED FUJI(つまり赤い富士)”と命名された※1.コミンテルンであり戦中のある時期より戦後日本にかけての共産主義者グループの“ドン”であるが部落解放同盟の“ドン”でもあるのじゃよ。
そして全国の同和勢力を束ねる同和の御大将というわけじゃ。戦後結成された日本社会党内では党の役職には一切つかず、陰でその影響力を行使していたのじゃよ。恐持てであり世間の人々が知らない裏の人脈には凄いものがあったんよ。政治家、官僚、軍人、学者、マスコミ、作家、右翼人士、裏社会、芸能人(大物の歌手や映画スター)等、そういえばあの“美空ひばり”は松本と山口組三代目の田岡一雄のラインで子役から売り出したしな、もちろん松本は戦前から裏で色々と暗躍しとったのじゃが生涯を通じて尻尾を出すことはなかった人物である。そうそう最近ロシアのプーチンが来日したが例の1956年の日ソ共同宣言についてじゃが、あれは松本が河野一郎をつかって領土問題の解決を妨害したのじゃよ、なにせ河野一郎は中国共産党の工作員じゃからのぅ。今では息子の河野洋平も中国の工作員になっておるというもっぱらの噂じゃがヤッパシDNAのなせる業かのぅ。ついでに言えば河野は在日であるぞよ。ちゅうことはじゃな河野洋平も在日ということになるのぅ。
そんでもって領土問題の話に戻せば鳩山が松本に何の相談もなく、単独で勝手にソ連に接近して領土交渉を行うことに松本はエラク腹を立てておったのよ。それと中国の気持ちを忖度して、「中国が北方領土の返還に大反対なのは了解してまっせ」という中国へのメッセージでもあったんよ。当時毛沢東はフルシチョフに「日米安保条約が存在する内は一島たりとも返還するべきではない」と、たびたび強くフルシチョフに主張していたのじゃ。この頃は、松本は中・ソを天秤にかけて両国をコントロールしていたものよ。
そろそろ話を元に戻すと、松本の隣におるもう一人の人物は緒方竹虎というて松本治一郎との関係はまるで一卵性双生児の如き関係の人物であったのじゃ。もちろん二人とも同和である。そしてコミンテルンでもあるんよ。緒方にはコードネームはないのだが、中国共産党の女工作員が愛人だったのじゃ、つまりハニー・トラップにかかっていたということになる。ほんでじゃな、コード・ネームが無いという事はソ連側からすれば松本の方を上に見ていたということになる。スタさん(スターリンのこと)は重要な工作員には必ず自らコードネームをつけるからのぅ。松本は戦前・戦後を通じて数々の事件に深く係っておるが緒方と二人で丁々発止で色々な事件に絡んで裏で暗躍していたものじゃよ。緒方と朝日新聞の関係から推測しても朝日の正体が見えてくるというものじゃわい。いずれ朝日新聞についてもヒトクサリ話をするつもりじゃが、そうそうあの近衛文麿ともこの松本と緒方は非常に近い仲だったしのぅ、それに例の60年安保闘争などは松本主導であり、バックにソ連がいたのじゃが緒方も朝日の村山家との社内紛争を主導したものだがその裏では松本が深く関与していたものじゃよ。
そうそう既に鬼籍に入ってはおるものの、あのカミソリと云われた後藤田正晴は松本の秘蔵っ子でもあるんじゃが、表面上はシッカリと距離を置いていたので世間では二人の関係は殆ど知られておらんわい、もちろん後藤田はコミンテルンじゃよ。モットモ途中から松本の影響で田中角栄が権勢を誇っていた時にソ連を見限って中国共産党に乗り換えたんじゃが、このようにソ連から中国に乗り換えた工作員は政治家や学者を中心にして非常に数多く存在するのじゃがこの事は日本では全く知られておらんのよ。あのロッキード事件では裏で後藤田は指揮権発動を強く自民党に働きかけたんじゃが、当時の稲葉法務大臣が断固はねつけたためにかなわなかったんじゃ。この時は中国共産党もアメリカも動いたが一般には全く知られておらんぞなもし。
そろそろ松本本人の話に戻せばじゃな、付け加えると松本はあの山口組三代目の田岡一雄とは親分・子分の仲であり右翼の※2.児玉誉士夫とも親分・子分の仲じゃったわい。当然親分は松本の方よ。もっとも児玉誉士夫は偽装右翼であり共産主義者グループの一員っちゅうのが本当の正体なのじゃが、まあ日本においては世間の人々は殆ど誰もこれらの裏人脈や裏の真相は知らないのじゃが。オットついでにもう一つバラせばあの田中角栄と松本治一郎も親分・子分の仲だったのじゃが・・・・・。田中角栄の会社である田中土建は松本治一郎が経営する松本建設から仕事を回してもらっていたのじゃよ。特に松本が持っていたある人物から引き継いだ朝鮮半島の利権でな、つまり田中は当初、松本のおかげで朝鮮で儲けたのじゃ、ヨースルニ戦後は田中角栄は松本のおかげで日本と韓国で儲けたということかいな。どちらにしろ田中角栄が松本治一郎に頭が上がらなかったのは間違いないのじゃ。いずれ田中の本性についても書かねばならんじゃろうな。

今回のゲスト達のプロフィール

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松本 治一郎

松本 治一郎(まつもと じいちろう、1887年6月18日 - 1966年11月22日)は日本の政治家、実業家。部落解放運動を草創期から指導し、部落解放同盟からは「部落解放の父」と呼ばれる。堂々たる顎髭の風貌から「オヤジ」と呼ばれ親しまれた。

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緒方 竹虎

緒方 竹虎(おがた たけとら、1888年(明治21年)1月30日 - 1956年(昭和31年)1月28日)は、日本のジャーナリスト、政治家。朝日新聞社副社長・主筆、自由党総裁、自由民主党総裁代行委員、国務大臣、情報局総裁、内閣書記官長、内閣官房長官、副総理などを歴任。栄典は正三位勲一等旭日大綬章。三男の緒方四十郎は元日本銀行理事。

ところで緒方は緒方でシナ事変が始まって直ぐにある人物の命令で中国の延安にヨッコラショとばかり赴いてあの毛沢東と会見しておる。二人でヒソヒソと何を話していたことやら(冷笑)、緒方は毛沢東とは都合二回ばかり会見しておるんよ、そんでじゃな松本や緒方は周恩来や鄧小平とも頗る昵懇だったのじゃ。まあこの2人の足跡を追うと日本の近現代史の闇が、つまり真実の一部分が見えてくるのは間違いのないところじゃのぅ、全てではないが・・・・・、ムッフッフッフ(含み笑)。オウそうじゃった、そうじゃった、もう一つオマケにいえばこの2人は米内光政とも頗る昵懇じゃったのよ、あの海軍の中堅幕僚の高木惣一や石川信吾ともな、それに松本は陸軍の下村定とも非常に懇意であり例の海軍省の資料の持ち出しはなにを隠そう松本の指示だったのじゃ、ガッハッハッハ。いったい日本の近現代史はどうなっておるんかいな。歴史学者のセンセイ方よ、今まで何をやってたんかいな(呆れ笑)。ヨシッ、今回は更にもう一発オマケの大ネタを献上しようぞ、今回の舞台のお披露目公演ちゅうことでな、特別大サービスと行くかいな、ホレッ例のゾルゲ事件じゃが松本と緒方は世紀のスパイ事件の主犯と言われたあの大スパイ、リヒャルト・ゾルゲとも超御昵懇だったのでア~ル。ショッチュウ行動を伴にしておったしな。モチロンあの尾崎秀実ともこの2人はご親密な仲じゃったが、巷間言われてきたのとはイササカ違って尾崎の場合、ゾルゲとは違ってソ連からすれば一般工作員レベルにすぎないのじゃよ、とにもかくにも“歴史探偵”の称号はあの半藤一利よりもこのワシのほうが相応しいと思うのはワシだけじゃろうか?な~んちゃって(失笑)。とりあえずは、タブロイド紙「目鱗新報」の“ブン屋トマス”で我慢しておくかいな(苦笑)、マア今回はこれ位にしておこうかのぅ、このまま話を続ければ超長くなってしまうけんのぅ、切りがないわい、それにこの男の仕業をいちいちお話するととんでもないページ数になってしまうがな。そんなわけで、では次回お会い致しましょうか。このウェブサイトが忘れられないうちにね・・・・・・(微笑)。

ピー・ピッ・ピッ・ピッ・ピー・ピッ・ピッ・ピッ!「目鱗新報」トマス記者によります第一報をお届けいたしました。では、引き続き「シーズ劇場」をお楽しみください・・・・・。

どうですかナ、一般には決して知られていない昭和史の裏面がポロポロと登場することになってきましたが、目から鱗が落ちましたかナ?初公開ですので今回は“お名刺代わり”にトマス記者にご登場していただきましたが、次回からは本来の文筆法を駆使しての記事を読みたいものですネ。
でも、「トマスおじさん」結構出たがりだからナ~。なんだかんだで、コスプレ「トマス記者」に変身して出て来るんでしょうネ。それにしても今後の展開が大いに期待できそうですナ・・・・・・・。

注 解(これらの注解は主に一般的な定説・通説に基づいています。)

※1.コミンテルン
コミンテルン(ロシア語: Коминтерн、カミンテールン、ラテン文字転写例:Komintern、英語: Comintern)は、1919年から1943年まで存在した、共産主義政党による国際組織である。別名第三インターナショナル。

※2.児玉 誉士夫
児玉 誉士夫(こだま よしお、1911年(明治44年)2月18日 - 1984年(昭和59年)1月17日)は、日本の右翼運動家。CIAエージェントであったという。暴力団・錦政会顧問。「政財界の黒幕」、「フィクサー」と呼ばれた。1960年、生前葬を行う。河野一郎や大野伴睦といった大物政治家が児玉のための葬儀に集まり、焼香した。三男はTBSサービス社長の児玉守弘。

・上記注解は「wikipedia」 1917.2.4 より部分転載