第3回

タンタンタン、ぽん!(トマスおじさん登場!)

トマスおじさん:

お~い、寺陀某よ、何をボケ~ッと空を見つめておるんかいな。

寺陀 某(なにがし):

あっ、トマスおじさん、ちょうどよかったです。じつはトマスおじさんと会いたかったんですよ。

トマスおじさん:

そんなことだろうと思ってやって来たんじゃよ。まあ、以心伝心というやつじゃな。またワシに聞きたいことでもできたんじゃろうと思うてな。しかし、何じゃな、日本のメディアは例によってトランプ大統領の誕生で右往左往しておるのぅ。どちらにしろこれから世界が変わるのは間違いないじゃろうて。一番心胆寒からしめているのは中国共産党だがな(嘲笑)。それにじゃな、この際に日本は精神的に自立するよいチャンスではないかな、まずはド~ンと構えてトランプの出方をよく観察することじゃな。

寺陀 某(なにがし):

アッシも何となくそう思うんですが、でもその前に、日本とロシアの関係の方が興味があるんですよ。プーチン大統領がついこの間来たばかりなのに、メディアはトランプ一色ですからね、まっ、その方が視聴率も上がるんでしょうが・・・・・。

トマスおじさん:

フムフム、なるほどな、それは好いところに目をつけたのぅ。どのみちこれらは日本に大いに関係があって、日露の関係もこれから進展する可能性が出てくるかもしれんのぅ。

寺陀 某(なにがし):

それはアッシも期待してるんですがね、気になるのが日本のメディアの論調なんですよ。

トマスおじさん:

と、おっしゃると?

寺陀 某(なにがし):

ヘイ、というのもですね、相も変らぬメディアのロシアについての論調なんですがね、特に産経新聞なんですが・・・・。

トマスおじさん:

産経新聞と言えば日本では保守を代表する名うての新聞じゃろうて、何か問題でもあるんかいな。

寺陀 某(なにがし):

へい、大ありなんですわ、プーチンが返って程なくすると、さっそく去年の12月21日には北海道大学名誉教授の木村汎が、その前の12月20日には新潟県立大学教授の袴田茂樹が産経の一面で今回の安倍とプーチンの交渉は失敗と言わんばかりの論陣を張っていますがな。

トマスおじさん:

な~に、このお二人さんのことは無視してよろしいわい。どうせろくなものじゃないしな、とにかく1956年の※日ソ共同宣言の線にやっと戻ったわけじゃからのう。それから60年経過しとるのに何の進展もなかったんじゃよ。それにじゃなプーチンのいう「平和条約締結交渉は日本のせいで中断した」という指摘は全くそのとうりなのじゃ。そもそも1956年の交渉の時もある人物の妨害工作によって話がこじれたのじゃよ。

寺陀 某(なにがし):

へ~、ある人物って一体誰なんすか?

トマスおじさん:

それは日本社会党の松本治一郎じゃよ。

寺陀 某(なにがし):

この人物はそんなことまでやってたんですかい。

トマスおじさん:

この人物抜きでは戦前・戦後の日本の歴史の真実は解明できんわい。

寺陀 某(なにがし):

ほ~っ、そんな大物なんですかい。

トマスおじさん:

そもそも日本とソ連の外交交渉になんで外務大臣の重光葵をさておいて、農林大臣の河野一郎がしゃしゃり出てこないかんのじゃ。おかしいだろうが、ええっ?

寺陀 某(なにがし):

それもそうですよね。

トマスおじさん:

これも松本治一郎の河野への指示だったんよ。松本と河野はそれほど親しい仲ではなかったんじゃが、なにせ格が違うからのぅ。

寺陀 某(なにがし):

そんなもんですかねぇ。

トマスおじさん:

当時自民党の中には松本の息がかかった国会議員、オット間違ったわい、“国壊議員”や代議士、アリャ~また間違ってもうたわい、ウン、その~“代偽士”が仰山おったからのぅ。交渉前に北方4島の返還要求をするべく自民党内で党議決定して交渉に当たることになり、それでフルシチョフを怒らせてしまったんじゃよ。
この松本はGHQの占領下でも日本社会党の初の総理大臣に就任した片山哲をその座から引きずり下ろしておるがな。吉田茂も総理の座から追い落とそうとしたんじゃが、マッカーサーがそれを認めなかったので松本の思惑は失敗したのじゃが。詳しくはいずれかの機会に他の舞台でということにしようぞ。

寺陀 某(なにがし):

しかしやりたい放題でんなぁ。

トマスおじさん:

まあ闇の権力者というところじゃな。とにかく今回は続きはお次の舞台でということで、触りの部分だけじゃがな、ホナさいなら、最近のワシは本当に忙しいんじゃよ、じゃあな、これでこの舞台は幕引きとしようぞ。今後の安倍ちゃんとプーチンはんの関係に期待してナ、ホレッ、昔から日本では「急いては事をし損じる」っていうじゃろうが・・・・・・・・。

寺陀 某(なにがし):

そんなもんですかねぇ。あれっ、いっちまったよ、ほんとに忙しそうでんな(苦笑)。

注 解(これらの注解は主に一般的な定説・通説に基づいています。)

※日ソ共同宣言
日ソ共同宣言(にっソきょうどうせんげん)は、1956年10月19日に日本国とソビエト連邦がモスクワで署名し、同年12月12日に発効した外交文書(条約)である。これにより両国の国交が回復、関係も正常化したが、国境確定問題は先送りされた。正式には「日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言(昭和31年12月12日・条約第20号)と言う。日本側代表は鳩山一郎・河野一郎ら、ソ連側はブルガーニン首相・フルシチョフ第一書記が署名した。双方が戦争終結を確認し、国交関係を樹立することをうたったが、平和条約には至らなかった。それは択促・国後・歯舞・色丹の北方領土問題が解決されず残ったからであり、「平和条約締結に関する交渉を継続する」という表現に留まった。しかしソ連は、この宣言の第9条で、平和条約締結後に歯舞・色丹については日本側に「引き渡す」ことを約束している。

・上記注解は「wikipedia」 1917.2.4 より部分転載