ディアブロ・トマス(トマスおじさん)が開ける
「パンドラの箱」第三幕

このディアブロ・トマスの「パンドラの箱」も第三幕を迎えました。 それにしても結構幕間が長いですナ~。それもそのはずで、これだけコスプレキャラで色々出まくっているトマスおじさんです。なかなか次のステージへ移るのも時間と精神力が半端ないのでしょうネ(ユウレイなんで関係ないか?)。
それにしても趣味とはいえ、キャラの使い分けで人格(オッとユウレイ格かな?)分裂症(Split)でも起きないといいんですが・・・・・・。そのうち「ジキル博士とハイド氏」なんていうキャラもご登場するかもしれませんナ~。
では、お待たせいたしました「パンドラの箱」第三幕の始まりです・・・・・・・。

が~っはっはっは、い~っひっひっひ、ぎゃ~っはっはっは(ディアブロ・トマス特有の不気味な笑い方でパンドラの箱の蓋を開けながらご登場)

ディアブロ・トマス:

オイッ、百眼よ、久しぶりじゃのぅ。

百眼の秀:

へい、この舞台でお会いするのは久しぶりでござんすね。

ディアブロ・トマス:

まったくじゃ、この舞台では何が出てくるかわからんけんのぅ。

百眼の秀:

まったくでござる、今回も大いに期待してるもんね。どんな魑魅魍魎が出て来ることやら期待で胸が膨らみますぜ。

ディアブロ・トマス:

オウ、そうかそうかモチロン解っておるわい、まっかせなさい(自信たっぷりに)。

百眼の秀:

こりゃ~楽しみになってきたもんね。今回は鬼が出るか蛇が出るか、一体何が出て来るんでござろうか。ワチキはとにかく期待しちゃうもんね(期待に胸を膨らませて)。

ディアブロ・トマス:

それでは行くぞなもし、今回は海軍ではなくて陸軍で行こうぞ。

百眼の秀:

お次はそう来ると思ってたぜ、トマスのおっさんよ。

ディアブロ・トマス:

お前さんもワシが思うより馬鹿ではなさそうじゃな。

百眼の秀:

てやんで~、オレッチは秀才じゃなくってモチロン俊才でもなくってトーゼン天才でもないが、天下の凡才だもんね。

ディアブロ・トマス:

ふ~ん、ようするに凡才の中ではチョイトばかりマシな方ってわけだな。まあ、いいじゃろう、相手にとって不足はなさそうじゃわい(蔑笑)。そんでじゃな、今度の陸軍の人物なんじゃが、それは上原勇作というて陸軍大臣、教育総監、参謀総長の「陸軍三長官」を歴任し、元帥府に列せられた人物であり、これは帝国陸軍史上、上原と※1杉山元(はじめ)の二人しかおらんのよ。

今回のゲスト 上原 勇作(うえはらゆうさく)

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安政3年11月9日(1856年12月6日) - 1933年(昭和8年)11月8日}、明治~昭和期の陸軍軍人。元帥陸軍大将従一位大勲位功二級子爵、聖マイケル・聖ジョージ勲章ナイト・グランド・クロス(GCMG)。陸軍大臣、教育総監、参謀総長。日向国都城(現宮崎県都城市)出身。妻は野津道貫の娘、槙子。山縣有朋、桂太郎ら長州閥の元老凋落の後に陸軍に君臨し、強力な軍閥(上原閥)を築き上げた。 上原閥に属する者に荒木貞夫、真崎甚三郎、柳川平助、小畑敏四郎らがいた。陸軍大臣、教育総監、参謀総長の「陸軍三長官」を歴任し、元帥府に列せられたのは帝国陸軍史上、上原と杉山元の2名のみである。

百眼の秀:

ひえ~っ、そんなエライ奴なのかよ。

ディアブロ・トマス:

そうなんじゃが、じつはコヤツもコミンテルンであり、コードネームは「ゼネラル」と呼ばれておったのじゃ。

百眼の秀:

これもスタさん(スターリン)が名付けたのかな~。

ディアブロ・トマス:

当然そうじゃろうよ、なにせスタさん(スターリン)は超独裁者じゃからして、重要人物にコードネームを付けるのはスタさんに決まっておるわい。

百眼の秀:

それでなにかい?、コヤツも女なのかよ。

ディアブロ・トマス:

おいおい、随分と先をいそぐのぅ。しかし、お前さんも天下の凡才と威張るだけのことはあるってわけじゃな。いい感をしとるわい、褒めてつかわそう。だがその前に上原勇作について少しばかり話しておかんとな。実はこの男は陸軍の共産化の中心人物でもあるんじゃ。※2 橋本欣伍郎※3 長勇に指示を出して「※4 桜会」を作らせたのは上原勇作であり、満州事変の黒幕でもあるのじゃ。近衛文麿に指示を出して「※5 昭和研究会」を作らせたのも上原であるぞよ。あの※6 矢部貞冶(東大教授、政治学)とも非常に懇意であり、海軍の米内光政はモチロンのこと、陸軍の※7 板垣征四郎とも親分・子分の仲じゃったわい。
つまり板垣征四郎はコミンテルンだったというわけじゃな。それに「※8 天皇機関説事件」の黒幕でもあるしな。天皇主権論の※9上杉慎吉とも昵懇の仲というわけじゃよ。それに上原はあの※10 ノモンハン事変についてもその生前、指示を出しておったのじゃよ。日本の史家はこの事件について“事件”、つまり事変ではなくて事件と矮小化して呼称しておるがトンデモナイのじゃよ、実際は相当大規模な戦争だったのじゃ。スタさんはアッと驚く大軍をノモンハンに投入しておるしな、もっとも、この事変は上原の死後に起っておるがのぅ。この時の関東軍の対応の仕方は生前の上原の指示に基づいておるのじゃよ、モチロン“満州某重大事件”、つまり「※11 張作霖爆殺事件」の全貌も、この上原は全て把握しておるわい。満州国建国も言いだしっぺはこの上原と板垣ラインなのじゃよ。ほんでじゃな、あの「※12 永田鉄山斬殺事件」も上原勇作の指示によるものであるのじゃ。あの「※13 中野正剛割腹自殺事件」も上原の指示であり、この2人は上原の生前の指示で暗殺リストに加えられていたっちゅうわけじゃな。もちろん、それには理由があるのじゃが、これもいずれかの機会じゃな、まだまだ他の事件にも絡んでおるが今回はこの位にしておこうかいな。話が長くなるでのぅ(含み笑い)。

百眼の秀:

ゲ~ッ、とんでもない人物じゃねぇ~かよ、日本の近現代史には全然出てこないじゃね~か、いったい日本の近現代史はど~なってるんだよ。

ディアブロ・トマス:

ガッハッハッハ、因みにこの上原の出自は九州は都城の同和じゃよ、そんでじゃな、この上原の人脈は非常に広く、また深いものがあるんじゃな。陸軍だけではなく海軍、政界、官界、財界、学会、皇室、ジャーナリスト、右翼(頭山満等の偽装右翼だが)等々、それはそれは凄いものがあったのじゃ。もっとも頭山は上原の子分のようなものじゃったが、それに上杉真吉なんかは上原とは昵懇で、その関係の深さは『上原勇作日記』を読めばわかるというものじゃわい。なんせ、上原はこの当時は日本におけるソ連の工作員の頂点に君臨しておったからのぅ。
とにかく上原勇作の人脈は、軍は勿論のこと政界・官界・メディア・学会等多岐にわたっておったがな。もっとも、後半は松本治一郎と同格になり、上原の死後は松本治一郎が頂点の工作員じゃよ。それと田中光顕と上原の関係は親分・子分の関係であるぞよ。

百眼の秀:

げ~っ、わかった、わかった、とりあえずはもういいよ、何れ訊くからさ、一篇に聞くと消化不良になっちまいそうだぜ。ところで女の話はどうなってんのさ?

ディアブロ・トマス:

なんじゃい、お前さんはすぐ女の話にいきたがるのぅ。

百眼の秀:

だって世の中、男と女しかいないもんね。

ディアブロ・トマス:

それはそうじゃが、しかし、お前さんはチョットばかり極端だとおもうがのう(苦笑)。マア、いいか。

百眼の秀:

そうだよ、早く教えてくんなまし。

ディアブロ・トマス:

よっしゃ、それでは行くぞなもし。この上原勇作は明治時代にロシア出張を含めて欧州出張三回を入れると都合五回ほど欧州に行っておるが最初の出張の時にモスクワにおいてスタさん(スターリン)と面会しておるのじゃよ、もちろんスタさん(スターリン)が、まだ若かりし頃の革命家の時にな。ほんでじゃな、この最初の欧州出張の時に、上原はある社交パーティーで一人のスーパーな美女にひっかかったのじゃよ。ナ~ニ、この当時ロシアも他国と同じで御多分に漏れずこの種のパーテイーはよくやっておったのじゃよ。それにしても随分手回しのよいことではあるが、それもそのはず、スタさんとの面会を取り持ったのは田中光顕なんじゃよ。

百眼の秀:

へ~っ、映画のシーンなんかによく出て来る、あの様な豪華絢爛なパーティーですかね。

ディアブロ・トマス:

そうそう、例のアレじゃよ。

百眼の秀:

いいな~、おれも一回でいいから出てみたいよな。

ディアブロ・トマス:

そもそもアレには政治家や財界人や軍人などのイワユル各界の名士なんかが呼ばれるのであって、お前さんはお呼びではないぞなもし。

百眼の秀:

やっぱ駄目か、残念、無念。

ディアブロ・トマス:

ところで、今回はこの辺にしておくかいな、次の舞台が待っておるけんのぅ。

百眼の秀:

え~つ、またかよ、もういっちゃうの?つまんねぇ~な~。そんなこと言わずに、もう少し教えてくれよ。

ディアブロ・トマス:

ダメヨ、ダメダメ~ン(もはや古いギャグだが)、じゃ~次回という事で、さいなら、また会おうぞ。

百眼の秀:

チェッ、いっちまったぜ、まったく忙しないオッサンだよな。

ふーん、スタさんはこの当時、旧日本陸・海軍のお偉方、軍閥、政治家の方々にケッコウ”ラブコール”を送ってたんですナ~。それと豪華絢爛なパーティーとかスーパーな美女(ハニートラップですかネ?)のご登場といい、まさに「★ロシアより愛をこめて」ですネ。
なんにしても一度、スタさんには、ジックリとこれらの仕掛けの真相を聞いてみたいものでんナ~。

★『007 ロシアより愛をこめて』(From Russia with Love)は、イアン・フレミングの長編小説第5作(日本語版のタイトルは『007 ロシアから愛をこめて』)。また1963年に製作された『007』シリーズ映画第2作。ユナイテッド・アーティスツ提供。
(文中敬称略)

注 解(これらの注解は主に一般的な定説・通説に基づいています。)

※1.杉山 元(すぎやまげん/はじめ)
{1880年(明治13年)1月1日 - 1945年(昭和20年)9月12日}、大日本帝国陸軍軍人。元帥陸軍大将、陸軍大臣、教育総監、太平洋戦争開戦時の参謀総長。福岡県出身。陸軍士官学校卒業(12期)、陸軍大学校卒業(22期)。陸軍大臣、参謀総長、教育総監の陸軍三長官を全て経験し元帥にまでなったのは二人しかいない(もう一人は上原勇作)。

※2.橋本 欣五郎(はしもときんごろう)
(1890年2月19日 - 1957年6月29日)、昭和時代の日本の陸軍軍人、政治家(衆議院議員1期)。右翼活動家。たびたびクーデターを試みたが失敗し、極東国際軍事裁判(東京裁判)で訴追された。通称「ハシキン」。

※3.長 勇(ちょういさむ)
(1895年1月19日 - 1945年6月23日)、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。1929(昭和4年)1月、歩兵第48連隊中隊長に就任。次いで参謀本部付勤務(支那課)となる。1930年(昭和5年)に橋本欣五郎らと桜会を結成。同年12月、参謀本部員に異動。1931年(昭和6年)の三月事件・十月事件を計画。橋本らと同様に処分を受けるが軽い処分で済んでいる。十月事件での長の役割は、首相官邸を襲撃し全閣僚を殺害するというもので、長は新内閣樹立の際は警視総監に就任する予定であったが保護検束されている。

※4.桜会(さくらかい)
日本の軍事国家化と翼賛議会体制への改造を目指して1930年(昭和5年)に結成された超国家主義的な秘密結社・軍閥組織である。参謀本部の橋本欣五郎中佐、陸軍省の坂田義朗中佐、東京警備司令部の樋口季一郎中佐が発起人となり設立した。参謀本部や陸軍省の陸大出のエリート将校が集まり、影佐禎昭、和知鷹二、長勇、今井武夫、永井八津次などの「支那通」と呼ばれる佐官、尉官が多く、20数名が参加していた。その設立趣意書には、政党政治の腐敗と軍縮への呪詛が述べられ、軍部独裁政権樹立による国家改造を目的としていた。

※5.昭和研究会(しょうわけんきゅうかい)
1933年(昭和8年)12月27日設立 – 1940年(昭和15年)11月19日廃止)、近衛文麿の私的ブレーントラスト(政策研究団体)。主宰者は近衛のブレーンの一人だった後藤隆之助。ただし正式な組織として発足手続が取られたのは1936年(昭和11年)11月に入ってからである。

※6.矢部 貞治(やべていじ)
{明治35年(1902年)11月9日 - 昭和42年(1967年)5月7日}、日本の政治学者、評論家。東京帝国大学法学部教授、拓殖大学総長などを歴任した。従三位勲一等。政治学博士。旧姓横山。第二次世界大戦前・戦後を問わず現実政治への関与を行い、戦前は近衛文麿のブレーントラスト「昭和研究会」に参加し、外交部会長を務めた。戦後では東大時代に指導した中曽根康弘の相談役であったことで知られる。中曽根は度々師であったと公言している。

※7.板垣 征四郎(いたがきせいしろう)
{1885年(明治18年)1月21日 - 1948年(昭和23年)12月23日}、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。栄典は正三位・勲一等・功二級。満州国軍政部最高顧問、関東軍参謀長、陸軍大臣などを務めた。
関東軍高級参謀として石原莞爾とともに満州事変を決行し、第二次世界大戦においては第7方面軍司令官として終戦を迎えた。戦後は東京裁判にて死刑判決を受け処刑される。元参議院議員の板垣正は次男。

※8.天皇機関説事件(てんのうきかんせつじけん)
1935年に起こった事件。軍部の台頭と共に国体明徴運動が起こり、思想・学問の自由は圧迫され、天皇機関説は国体に反するとして攻撃を受け始めた。1935年(昭和10年)2月18日、貴族院本会議の演説において、菊池武夫議員(男爵議員・陸軍中将・在郷軍人議員)が、美濃部達吉議員(東京帝国大学名誉教授・帝国学士院会員議員)の天皇機関説を国体に背く学説であるとして「緩慢なる謀叛であり、明らかなる叛逆になる」とし、美濃部を「学匪」「謀叛人」と非難、井田磐楠らと貴衆両院有志懇談会をつくり機関説排撃を決議した。菊池議員はこの前年にも足利尊氏を評価する記事を10年以上前の同人誌に書いた中島久万吉商工大臣を「日本の国体を弁えない」と非難して辞任に追い込んでいる。菊池議員はそもそも、南北朝時代に南朝方に従った菊池氏の出身で、天皇を神聖視する陸軍の幹部でもあり、また、右翼団体の国本社とも関係があった。
注:天皇機関説(てんのうきかんせつ)とは、大日本帝国憲法下で確立された憲法学説で、統治権は法人たる国家にあり、天皇はその最高機関として、内閣をはじめとする他の機関からの輔弼(ほひつ)を得ながら統治権を行使すると説いたものである。ドイツの公法学者ゲオルグ・イェリネックに代表される国家法人説に基づき、憲法学者・美濃部達吉らが主張した学説で、天皇主権説(穂積八束・上杉慎吉らが主張)などと対立する。

※9.上杉 慎吉(うえすぎしんきち)
{1878年(明治11年)8月18日 - 1929年(昭和4年)4月7日)}、明治後期から昭和初期にかけての日本の憲法学者。天皇主権説を主張する君権学派(神権学派)であり、天皇機関説と激しい論争を展開した。

※10.ノモンハン事件(のもんはんじけん)
1939年(昭和14年)5月から同年9月にかけて、満州国とモンゴル人民共和国の間の国境線をめぐって発生した紛争のこと。1930年代に日本(大日本帝国)とソビエト連邦の間で断続的に発生した日ソ国境紛争(満蒙国境紛争)のひとつ。満州国軍とモンゴル人民共和国軍の衝突に端を発し、両国の後ろ盾となった大日本帝国陸軍とソビエト労農赤軍が戦闘を展開し、一連の日ソ国境紛争のなかでも最大規模の軍事衝突となった。

※11.張作霖爆殺事件(ちょうさくりんばくさつじけん)
1928年(昭和3年、民国17年)6月4日、中華民国・奉天(現瀋陽市)近郊で、日本の関東軍によって奉天軍閥の指導者張作霖が暗殺された事件。別名「奉天事件[1]」。中華民国や中華人民共和国では、事件現場の地名を採って、「皇姑屯事件」とも言う。終戦まで事件の犯人が公表されず、日本政府内では「満洲某重大事件」と呼ばれていた。

※12.永田鉄山斬殺事件(ながたてつざんざんさつじけん)
1935年(昭和10年)8月12日に、皇道派青年将校に共感する相沢三郎陸軍中佐が、統制派の永田鉄山軍務局長を、陸軍省において白昼斬殺した事件である。加者側の名前から、相沢事件(あいざわじけん)とも言う。統制派による皇道派追放への反発(磯部浅一と村中孝次の停職に憤激)が動機であり、その後の二・二六事件に繋がった出来事の一つである。

※13.中野正剛割腹自殺事件(なかのせいごうかっぷくじさつじけん
中野正剛は明治19年(1886年)2月12日~昭和18年(1943年)10月27日福岡県出身、早稲田大学卒。 大正9年(1920年)から衆議院議員。 昭和6年(1931年)満州事変勃発後、安達謙蔵内相の協力内閣運動に加わり、民政党を脱党。 翌年、国民同盟(党首は安達謙蔵)を結成したが、昭和11年(1936年)国家主義的な東方会を結成して自ら総裁となる。 太平洋戦争の戦局が悪化すると、東条内閣の倒閣を画策したため、昭和18年(1943年)10月21日憲兵隊に捕らわれ、釈放後に割腹自殺した。

・上記注解は「wikipedia」 1917/5/20 より部分転載